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【#280】歌声と変える(メッセージの断片集91)

7月28日(日)の様子

 今年から誕生月の方に礼拝で「救いの証し」をしてもらっています。どのようにして教会に導かれ、主イエスを信じ、そしてどのように歩んでいるのかという体験談を語ってもらっています。この日は4月から大学生活を送るために、岡山から北見に来られたH君が証しをしてくれました。北見に来たことを主の導きだと受けとめておられることなどを、誠実に語られました。自分の人生を「主が導いてくださっている」と受けとめられることこそ、幸いなことだと思います。

 礼拝後はお弁当愛餐会と分かち合い、そしてこの日から月に1度の「KITAMIユースタイム」が始まりました。Tさん&Aさん夫妻が良いリードをしてくださり、中学生から大学生までのユースが楽しく、また信仰が育まれるような恵みのひと時となったようです。

 紋別ではF神学生が、初めて礼拝の奉仕をされました。日曜日の夜は、その日のことを私に報告し、確認し、共に感謝を捧げる時を持つことになっています。ところが、私はすっかりリラックスしながらオリンピックの柔道に見入っていまいました。夜11時頃になってF神学生よりLINE電話があり、気づいた次第です。紋別でも恵みの1日であったことを感謝します。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

神の聖さに触れる

 神の軍勢という主の臨在の中で、ヤコブは神の聖さに触れ、そのままではおれないと気づくのです。ベテルの経験はありのままのヤコブが受け入れられる経験で、とても大切です。マハナイムの経験は神の聖さに触れて、聖別の一歩を歩むという経験で、こちらも大切です。ありのままで愛されている恵みを知った時、そのままではおれないという、聖化の恵みに招きいれられていきます。

 新しいステージへ向かうにあたって、主から示されていることないでしょうか。あったことを無かったかのように、そのままにしていることはないでしょうか。ヤコブとエサウのように、人との関係で和解せずにいることはないでしょうか。私たちを罰するためのものではなく、主は私たちを聖め、癒したいと願っておられます。ベテルという愛の経験を経て、聖別・聖化というマハナイムの経験に導かれていきましょう。

神の側に立つ

 この主の軍勢は、何のためにヤコブの前に現れたのでしょうか。主の軍勢はヤコブを助けにやってきた、ヤコブの味方なのでしょうか。エサウが400人連れて来ようが、主の軍勢が共にいるという励ましなのでしょうか。主の軍勢は主の軍勢であって、ヤコブの軍勢ではないことを知る必要があります。

 ベテルで示されたのは、主なる神はあなたの味方だ、あなたと共にいるという励ましでした。マハナイムで示されているのは、あなたは神の味方なのか、神の側に立っているのかという問いかけだと言えるでしょう。(参照ヨシュア記5章)

 主なる神は何があっても、徹頭徹尾あなたの味方です。あなたの痛みも、辛さも、つぶやきも、主なる神はあなたの心を全部ご存知です。全部知った上で、あなたを愛し、あなたと共にいるという約束は変わらないのです。そういうベテルの経験をを土台として、マハナイムの経験をしているでしょうか。あなたは神の側に立っているでしょうか。あなたは主の心を求めておられるでしょうか。主の悲しみを知っておられるでしょうか。ベテルからマハナイムを経験する、それは信仰の大きなステップなのです。

 ▲ 礼拝で久しぶりに賛美した「歌声と変える」

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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