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【#271】潤されて(メッセージの断片集88)

7月7日(日)の様子

 いくら北海道が暑いと言っても、内地では40度に至るほどの気温なので、こちらにいて暑いとは言ってはおれないのですが、言ってしまいますね💦

 6月は一週間の中で暖房をつける日もあれば、冷房をつける日もありました。「シクラメンが咲いた〜」と妻が驚いていました。6月に寒さが続いたことで、シクラメンが季節を間違えたようです。

▲ 季節を間違えたシクラメン(2024年6月28日)

 さすがに7月に入ってからは暑い日ばかりが続き、シクラメンも季節を間違えたことを悟ったようで、2輪以上は増えませんでした。

 先月末に訪れた紋別の教会では、教会の庭に咲いているシャクヤクが美しく活けられていました。思わず「本物?」と思うほど、立派なシャクヤクでした。

▲ 教会の庭に咲いていたシャクヤクが講壇に(2024年6月30日)

 北見でも紋別でも、礼拝の合間に換気タイムと水分補給タイムを持っています。暑さの中にありますが、身も心も魂も潤されていきますように。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

歓迎する

 パウロは自分のの所に来る人々を、みな迎え入れました。ユダヤ人もローマ人も、身分の高い人も、そうでない人も、パウロは歓迎しました。中にはややこしいと思われる人、面倒くさいと感じる人もいたことでしょう。それでもパウロは「みな迎え」て、歓迎したのです。聖霊に満たされる時、目の前にいる人を受け入れていく広い心が与えられます。

 広い心とは、私たちの努力で与えられるというものではないでしょう。パウロは福音に力があると信じていたから(ローマ1:16)、目の前にいる人を受け入れていくことができたのでしょう。主イエスは正しくて、良い人を招くためではなく、罪人を招くために来こられました(マタイ9:13)。聖霊に満たされる時、この主イエスの心が与えられます。人には主イエスが必要で、主イエスだけが人を変え、救うことができるという確信と希望を持つ時、広い心が与えられるのでしょう。

▲ 初めてみましたが、シクラメンの種も実っていました。(2024年6月28日)

妨げられない

 パウロは2年間、幽閉されていました。外出は禁止され、パウロとローマ兵は鎖で繋がれていて、逃げないように交代で監視されていました。パウロの宣教活動は妨げられないどころか、自由に行動はできない2年間を過ごしたとも言えます。

 しかしこの2年間、パウロの宣教は滞ったわけではありません。獄中書簡と呼ばれるエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモンへの手紙はこの2年間で記されました。2年間の不自由はあったかもしれませんが、この後、2千年に渡って人々を励ます4書が記され、確かに福音は広がっているのです。2年間の不自由は小さな妨げのように思うのですが、しかし実は全く妨げられていないことが分かります。

 私たちを縛るもの、妨げるものがあるでしょうか。しかし神の言葉は何ものにも縛られません。聖霊に満たされる時、神の国、神の愛を妨げるものは何もないという大きな信仰を持つことができるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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