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【#85】復活の主と共に(メッセージの断片集27)

4月16日の様子

 この日は朝からみぞれっぽい雨でした。翌日は雪だったので(積もらない程度)、やはり峠を越える予定がある場合、夏タイヤに替えるのはGWあたりというのが定石ですね。

 冬タイヤにしたままの車で、妻は紋別へ礼拝奉仕に行ってきました。紋別では礼拝に引き続いて一週延ばしてのイースター祝会。Aさんが画像を送ってきてくれましたが、豪華な食事が並んでいました。この日はイースターのお祝いとともに、Mさんが来られたこと、紋別に転勤されたKさんの歓迎会、そしてLさんとCさんの送別会も一緒にしたようです。神様の不思議な導きで教会に来られたLさんとCさんは、涙ぐみながら感謝の言葉を述べておられたようです。

 北見でも、復活の主イエスを仰ぐ礼拝の時を持ちました。礼拝後、Lさんからいただいた紋別銘菓の詰め合わせを、歳の順(自己申告!!)で選んでもらいました。来月で90歳になるお義母さんは「一番最初だったので、一番大きいのを選んだ」と言って笑っていました。

 夕方は紋別のYさんとzoomで結んで聖書の学びをしました。Yさんとの聖書の学びは、いつも2時間ほどなのですが、あっという間に終わります。私も多くのことを教えられるのと同時に、Yさんの聖書に対する誠実な姿勢を尊敬しています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読めます。

主イエスが働かれる

 面白いなあと思うこと。それは、大きな石について話し合ってから出かけたのではなく、墓に着いてから話し合ったということ。また普通は墓に入れると分かって香料を買いますが、彼女たちは既に買っています。普通は「どうしたらこの石を転がせるだろうか」と方法を考えるのですが、彼女たちは「誰がこの石を転がしてくれるだろうか」と話し合っています。

 信仰って頭の中だけで考えていると「どうせ無理だ」「駄目だ」「無駄だ」となってしまいます。頭で考えて解決できることだったら、信仰はいりません。彼女たちには、信仰と愛があったのです。主イエスを慕う愛があったのです。安息日が明けたらすぐにでも、主イエスのもとに出かけて行きたいという愛です。愛は計算をしませんし、愛は損得を超えます。その結果、他の誰でもない、復活の主イエスが働かれるのを体験したのです。

▲ 北側に山のように積もっていた雪もあとわずか(2023年4月15日)

主の言葉を思い起こす

 「前に言われたとおり」とあるように、主イエスが十字架に掛かること、そして3日目に甦ること、それは既に何度も語られていたことでした。弟子たちも、この女性たちも、主イエスの言葉を聞いているようで聞いていないのです。それは私たちの姿かもしれません。礼拝を通して、また聖書を読む中で、さらに様々な出来事、人を通して、主はしきりに私たちに語られます。その主イエスの言葉を思い起こしていくこと、それが復活の主と共に歩むということです。

▲ 日曜日(4月16日)の雨で解けたかと思いきや、残っていました。(2023年4月17日)

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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