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【#277】乗除(メッセージの断片集90)

7月21日(日)の様子

 前日までの北見ぼんちまつりの余韻も冷めぬまま、この日も暑い日でした。また紋別の教会では、F神学生を迎えての初めての礼拝となりました。横浜からF神学生が暑さを連れて来たのではないかと思うほどの暑さでした。この日はzoomで北見と紋別を結んでの合同礼拝だったので、紋別の皆さんが主なる神を仰ぎつつ、うちわを扇いでいる様子もよく見えました。

 礼拝の中では76歳のF神学生がどのようにして教会に導かれて主イエスを信じ、その後どのような人生を歩み、聖書神学校へと導かれたのかという証しを語ってくださいました。

 北見では礼拝後に第8回チャペルフェスティバルを持ちました。その時の様子は、また改めて紹介します。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

掛け算:すばらしい不思議な業としるし

 「弟子の数非常に増えていった」と記されています。キリストを信じる者の数、礼拝に出席する人の数というよりも、弟子の数、キリストの弟子の数が非常に増えていったのです。弟子というのは、師や師匠、先生に似る者のことで、キリストの弟子とはキリストに似る者のことです。つまり、キリストのような愛をもって生き、またキリストのために生きる人々が増えていったということです。しかも「非常に」増えていったということで、掛け算のように驚くほどに、驚異的に増えたと言えるでしょう。

 驚くほど弟子の数が増えた理由として、すばらしい不思議な業としるしがなされたことを要因に挙げられています。ここで知っていただきたいことは、単なる「奇跡」と「しるし」は違うのです。

 単なる奇跡であれば、それは「あーすごい!」で終わります。しかし神の奇跡はや不思議な業は、主イエスが救い主である「しるし」となるのです。「神は生きておられる」「主イエスは私の救い主だ」「私を愛しておられる」「私の罪を赦してくださる」「私の汚れを聖めてくださる」「私の過去の傷、痛みを癒し、私を助け出してくださる」というように、主イエスが救い主だとわかる、そういう「しるし」となっていくのです。

割り算:分かち合う

 アンテオケ教会は、バルナバとサウロを宣教師として送り出しました。パウロやバルナバが教会に留まった方が、アンテオケの宣教が進んでいくはずです。しかし聖霊はリーダーである彼らを送り出しなさいと、アンテオケ教会に示すのです。教会の力が二分されるようなことを聖霊が示しています。通常、割り算をすればその分小さくなるはずです。しかし神様の割り算はそうではありません。アンテオケ教会は、捧げる教会、与える教会になり、捧げて分かち合っているのに、ますます豊かにされていくのです。

 「人を潤す者は、自分も潤される」(箴言11:25)と聖書は教えます。普通は、自分が潤されてから、人を潤すことができると考えます。今は自分のことで忙しくて、他の人のことまでかまっておられないということもあります。しかし自分が潤されてからではなく、人を潤すことによって、与えることによって、本当の豊かさ、祝福に私たちは与ることができるのです。

 「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」と三浦綾子さんは『続氷点』に記しています。その通りです。いつも自分が受けることばかり、自分のことばかりであれば、命は枯れていきます。「受けるよりは与える方が幸いだ」と言われ、そのように生きられた主イエスのように、賛美と祈りの中で聖霊に満たされて、主イエスの心を与えていただきましょう。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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