【#32】 最初のステップ
お祝いの言葉
12月11日の洗礼式。中学生のEさんと大学院生のK君が洗礼の恵みに与り、私にとっても忘れられないひと時となりました。本当は少し豪華な昼食やスイーツを食べながら、お祝い会のひと時を持ちたかったのですが、感染状況を考えると多くの方々と一緒に食事をするのはまだ早いという判断になりました。そこで礼拝後すぐ、お二人のために代表して二人ずつお祝いの言葉を一言ずつ述べてもらいました。今日はEさんへのお祝いの言葉を要約・抜粋して紹介します。
感受性の豊かさ
教会あるあるの1つで、小さい頃のことを知られているから、昔話も一緒に出てきますね(私も泣き虫だったとか、おとなしかったとか、よく言われたものです)。でもそれは、神の家族として様々なシーンを一緒に過ごしている証拠ですね。
予想に反して!?
Eさんのお父さんは、号泣して皆の前で話せなくなっているだろうと予想をしていました。しかし「ア、ダイジョウブ!」と明るく、喜びを持って語ってくださいました!
自分の知らないところで
また礼拝と洗礼式にLIVE配信を通して画面越しで参加された方が、「涙涙😭」でしたとメールを送ってくれました。
自分の知らないところで自分のために涙を流してくれる人がいる、自分のことのように喜んでくれる人がいる、祈ってくれている人がいるとは、何と幸いなことでしょうか。
たじろぐな
祈祷会でEさんが心を注ぎ出して癒やしのために祈る姿を見ながら、小麦粉制限なども強いられているので、「できるならば代わってあげられれば」と思うばかりでした。すると今年の10月、私も同じような症状のために夜も眠られないようなひと時を過ごしました。代わってあげるって大変なことなんだなあと思うのと同時に、罪と病を背負われて身代わりとなってくださった主イエスに思いを馳せました。すぐに癒やされていなかったとしても、それゆにこそ、なおいっそう救い主がEさんのすぐそばにいてくださることを覚えずにはおれません。
洗礼式前の救いの証しで、Eさんは「私をいつも励ます御言葉です」とイザヤ41章10節を読まれました。これからも主と主の言葉によって、Eさんは励まされ続けていくことでしょう。
今日も主の恵みと慈しみが追いかけてくる1日でありますように。