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【#106】頭上注意(メッセージの断片集34)

6月4日(日)の様子

 6月最初の日曜日。礼拝が始まる30分ほど前にライブ配信を始めたところ、何故かカメラがうまく機能していません。既に前日から配信予定を設定して、サムネイル表示をしています。前の週にLIVE配信が途中で途切れたことも頭によぎり(Y君がすぐに対応してくれて助かりました)、「あ“ー」という思いになりました。しかし落ち着いて新しい配信コンテンツを作り、対処できました。

 配信の不具合が礼拝直前だったり、礼拝中でなかったことに、胸を撫で下ろすものです。ただ、不具合に対して迅速に対応がどうしてもできない場合、もうそれはそれとして、そのハプニングもむしろいつもと違う何かを発見できる時になるかもしれないという思いで、余裕をもっていたいなあと思うものです。

 体調不良で休まれた方々のことを覚えつつ、前の週に様々な事情で休まれた方々が、それぞれ主なる神の助けを体験して礼拝に集えたことは幸いでした。

 礼拝後はお弁当愛餐会と分かち合い、そして前の週に引き続いてペンテコステオンライン聖会の続きを皆さんで視聴して、共に聖霊に導かれて賛美と祈りを捧げることができ感謝します。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

天の光が差し込む

 会堂の斜めの柱に、クッションを巻いたことはお伝えしました。その席に座った方のために、「頭上注意」というシールを作って椅子のテーブルに貼っています。そのシールには「頭上注意 WATCH YOUR HEAD」という言葉と共に、聖書の言葉も載せています。

「知者の目は、その頭にある。The wise have eyes in their head.」伝道の書 Ecclesiastes 2:14  

 聖書の言葉を用いたユーモアですが、「知者の目は、その頭にある」ってどういう意味でしょうか? 頭に目があるってどういうことでしょうか?

 知者というのは神を知る者ということで、神を知る者はどんな時も天の神を見つめているということです。天を仰がないで、神を見つめないで、目の前の状況だけに目を奪われて右往左往したり、下ばかり見て暗くなって、背筋を曲げてしまわないよう。天を仰いで、主に向かって賛美して祈る時、天の光が差し込んできて今まで見えなかった恵みが見えてくるようになります。

悔い改めにふさわしい行いをする

 誰が言ったのか分かりませんが、こんな言葉があります。

「性格は顔に出る、生活は体型に出る、本音は仕草に出る、感情は声に出る、センスは服に出る、美意識は爪に出る、清潔感は髪に出る、落ち着きのなさは足に出る。」

 面白いですね。該当するものとそうでないものとがあるでしょう。要するに、人の本質は外側に出てくるということでしょう。キリスト者は内なるものを大切にするから、外側はどうでも良いかということではありません。内なるものは外に出てきます。もちろん外側だけを繕うことも真実ではありません。

 悔い改めに生きる時、悔い改めにふさわしい行いが出てくるものであって、それらはセットだということです。真実な悔い改めに生きる時、心も口の言葉も外側の行いも1つになっていく、主の姿に変えられていくのです。聖霊がそうしてくださるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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