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【#221】四半世紀前の送辞

 先週火曜日(3/5)、聖書神学校の卒業式に参列しました。様々な思いが去来する中で、卒業生に惜しみなくエールの拍手を送りました。本来卒業式には、在校生からの送辞と卒業生からの答辞があるものです。しかし、私が在校生として卒業生を送る2001年から、送辞と答辞は卒業祝会で行われることになりました。そして今は送辞や答辞ではなく、卒業生の決意表明となっているようです。

 少し前に聖書神学校関係の資料を探していたら、もう無いと思っていた私の「送辞」が出てきたのです。私が在校生代表として、卒業式ではなく、2001年3月の卒業祝会で述べたものです。あの頃の思いがよみがえってきました。

ハレルヤ!
 敬愛する4年生の皆さん、卒業おめでとうございます。同じ時期に、この中央聖書学校で学べたことを、心から神様に感謝しています。

 私たちの主なる神は、真に不思議なお方です。私は4年生の皆さんほど、ユニークな方々を知りません。さながら主イエスの選ばれた弟子たちが、実に様々なタイプの人であったことと同じようです。時にその個性の強さのゆえに、寮生活をともにする中で擦れ違うこと、食い違うこと、ぶつかり合ったこともありました。

 しかし、神に出会ったからこそ、皆さんと出会うことができました。そして、神に召し出されたという共通点のゆえに、主に在って共に喜び、共に涙もし、祈り合い、励まし合い、そして互いに賜物を生かし合うことができました。忘れられぬ主に在る日々です。

 私たちは教団創立50周年、また今年度は中央聖書神学校創立50周年、そして20世紀から21世紀へと、時代の節目となる年を共に迎えました。そんな折、今年度、主が私たちにくださった御言葉は、ヨハネ15章16節です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがた行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えてくださるためである」。

 主に遣わされる4年生の皆さん。主の栄冠を目指して走られる4年生の皆さん。全ての全てにます主に、全てを捨てていざ従われる4年生の皆さん。新しい時代、新しい恵みを受け、新たなビジョンに燃やされながら、そして変わることのない主の召しに押し出され、一時ではなく、いつまでも残る実が、永遠に残る実が、天の御国で主が喜んでくださる実が結ばれていくことを、私たちは心から祈っています。
シャローム!
在校生代表 ◯◯◯◯

▲ 卒業式(2024年3月5日)

 ちょっとまどろこしい表現は、確かに約四半世紀前の私の文章ですね。卒業式というオフィシャルな式典ではないということ、そして寮の中でも先輩や後輩ということをあまり意識していなかったことも、この文面から分かります。今も同労者として歩んでいけることを嬉しく思っています。そして四半世紀を経た今回の卒業生を同労者と呼べることが、感謝に堪えないのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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