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【#306】優しくて、大きくて(メッセージの断片集100)
10月27日(日)の様子
9月末から、ちょっと慌ただしい日々を送っています。気忙(ぜわ)しいとも言えるでしょうか。このnoteの投稿仕様も少し変わっていたこともあって(見出し画像)、後回しになっています。
そんな10月27日の礼拝で、大切なことを皆さんにお話しをしました。お伝えするにあたっていろんな心配をしていましたが、北見と紋別の皆さんは私たちの思いを大きな心で受けとめてくださり、心を込めて祈ってくださいました。
礼拝後、男性の皆さんが私のところにやって来て、「先生のために祈らせてください」と言って、私を取り囲んで手を置いて祈ってくれました。男性として、同じ気持ちになってくださっていることが嬉しかったのです。
カナダ出身のTさん、篤い思いを込めておられるから、私の肩に置く手が少し動き出し、まるで肩もみをされているようでした。「リラックス、リラックス」と言わんばかりの優しい手でした。そして祈りの後「ハグしてもいいですか?」と英語で尋ねられるので、「Of Course!!」と答えると、お相撲さんのような大きな体でハグをしてくれました。「大きな大きな神の御心の中にあるから、ダイジョウブだよ」と言わんばかりの大きさでした。私はこの日の礼拝を一生忘れないでしょう。
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希望を持ち続ける信仰
諦めやすい信仰の体質になっていないでしょうか。「それは、仕方がないことだ」関西風に言うなら「しゃーないやん」「仕方がない」と、つい口から出ていないでしょうか。それは希望の信仰ではなく、失望の信仰になります。
希望を持ち続ける信仰を持つ時、幾つもの困難に打ち勝つことができます。希望の信仰を聖霊によって与えていただきましょう(ローマ15:13)。私たちの神は希望の神なのです。聖霊は希望にあふれさせてくださるのです。
愛を土台とした信仰
私たちの感覚では人の家の屋根を剥ぐことは、ちょっとやそっとでは出来ないことです。それは今も昔も同じです。つまり、4人がその中風の方を思う愛は、ちょっとやそっとではなかったということです。そこまでするほどに、かげなえのない存在として愛しているのです。屋根を壊したら直せばいい、事情を説明して謝って修理代を弁償すればいいでしょう。しかし、お金では買うことのできない、罪の赦しと救い、そして神の癒しを、いつも寝たきりの友のために求めたのです。なぜでしょうか?愛しているからです。(決して信仰は無茶をすることではありません)
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一致した信仰
主が見られたのは「彼の信仰」ではなく「彼ら」という複数の信仰でした。そこには一致があったということです。本当の信仰は、一人で持ち続けられません。信仰はスタンドプレーや一人相撲ではなく、主の教会の中で互いに助け合うという一致が生まれるのです。肉の思いは分裂をもたらし、関係を壊します。しかし愛や聖霊は一致を与えるのです。
さあ、明日は主日礼拝です。私たちは北見、紋別、函館で三教会合同の礼拝をzoomで結んで捧げます。神の恵みと慈しみを味わう1日でありますように。