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【#158】レプタ二枚(メッセージの断片集51)

10月15日(日)の様子

 秋晴れって、どうしてこんなに清々しくて気持ち良いのでしょうね。高い空、色づく山々、朝なのに昼寝している牛たち、なだらかに広がる畑、山の稜線(尾根?)のナチュラルなライン、湖面が静かにたゆたうサロマ湖などなど。紋別へ向かう途中に写真を撮りたいのですが、その時間がありません。また私の腕ではとうてい画面にその美しさと広大さを収めることなどできないので、安全運転で飛ばしながら神が造られた天と地を愛でていました。

 北海道に来た当初、少し興ざめしていたのは、白いビニールで包まれた牧草ロールです。宇宙人の置き忘れのようにしか見えません。単に雨に濡れないようにということであれば、屋根のある所に移動させれば良いのにと単純に思っていました。しかし白いフィルムでラッピングさせるのは大きな理由があり、その理由を知ってから違和感が少し小さくなりました(参照「サイレージ」)。

▲ 白く包まれた牧草ロール「写真AC」より

 この日の紋別の礼拝には、札幌からOさんの三人娘のお二人が集ってくださいました。午後からはOさんたちと一緒にゆっくりとお交わりをすることができました。北見の午後は、楽しく大掃除をしていたようです。

 紋別では塗装屋さんが来てくれて、屋根の色を正式に「フレッシュグリーン」に決めました。今週から塗装に入ります。私は帰りに湧別により、91歳のMさんを訪問することができました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

▲ 画像をクリックすると250字で、メッセージエッセンスを読むことができます。

自分を誇らない

 自分を誇る生き方は、背伸びをしながら自分をよく見せることになります。それでは疲れてしまいます。ぼろを出さないようにと、気を張って生きていくのは神経がすり減ります。私たちは自分を誇るのではなく、こんな私を見捨てないで、愛を注いで下さる主なる神を誇るのです。救い主の名を呼びながら呼びながら、救い主と信じて歩んでいく者は、よく見られたい、よく見せたいのではなく、よくなりたい、愛に生きたいと心の底から思う者となるのです。

捧げて、委ねて生きる

 このやもめは、自分が神の恵みに生かされているということを知っていたから、神様によって与えられているもの、今持ち合わせている全てのもの、レプタ2枚をを捧げました。
 自分の手に握りすぎていると、私たちは不自由になります。人生に色んなことがあっても救い主が共にいる、だから大丈夫だと、主の名を呼んで委ねるのです。「あなたにそんなに心配させるような、小さな神ですか?」と主は言われるでしょう。もっと主なる神を信頼して、真実な思いで礼拝を捧げていこうではありませんか。

 「レプタ二枚」を礼拝で賛美しようかどうか迷いましたが、またの機会にしました。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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