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【#73】すべては主の恵み(メッセージの断片集23)
3月19日(日)の様子
4月並みの気候が続き、気持ち良い天気の日の朝なのに、「雲が雨で満ちると」という賛美を礼拝で歌っていました♫ また礼拝で初めて「恵み」という賛美も歌いました。
与えられたものすべて
過ぎてきた時間すべて
歩いてきた道すべて
当然ではなく恵み
昇る朝陽と夕焼け
花の香りと秋の実
変わりゆく季節すべて
当然ではなく恵み
すべては恵み 恵み 恵み 主の恵み
あたりまえのことなど一つもない
すべては主の恵み
この地に生まれて育ち
夢見て生きる人生
息することさえすべて
当然ではなく恵み
神様の子どもとして
福音を伝えながら
主を賛美できる人生
当然ではなく恵み
すべては恵み 恵み 恵み 主の恵み
あたりまえのことなど一つもない
すべては主の恵み
Translation: Eri Hikichi
私は午後から結婚式の司式があり、「3月19日はミュージックの日です。ハーモニーは一人の主張が強すぎると不協和音になってしまいます。愛こそが全てを結び帯となり、受け入れ合い、赦し合うことができます。相手の音色をよく聞きながら、二人でしか奏でられないハーモニーを奏でてください」とお勧めしました。
この日、妻は紋別の教会に行っていて、帰ってきた夕方、大阪から来られた素敵なお客様を一緒にお迎えしました。1997年以来ですから、四半世紀ぶり(!?)の再会となり、嬉しくも幸いなひと時を過ごしました。「すべては主の恵み」だなあとつくづくと思っています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)
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主は祈りを聞き、涙を見る
死に向かう病の中で、ヒゼキヤ王は顔を壁に向けて祈りました。そこには自分の悲しみ、この辛さ、やり場のない思いを、人に向けてももうどうにもならないという思いがあったのでしょう。その結果、「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。・・・」という主の答えを得ました。
私たちが信じている主なる神は、憐れみの神です。行き詰った時、やり場のない思いを抱える時、病の時があります。どんな時も私たちの祈りの声を聞き、涙のもとを知ってくださる方がおられるのです。私たちの命は、命の源である神に向かう祈りの中で、本当の意味で励まされ、強められ、力を得ることができるのです。
後のために備える
癒されたヒゼキヤ王は、どうやら癒しだけを受け取ってしまったかのようです。せっかく寿命が伸びたのに、その命を次の世代のために真剣に考えて用いることをしませんでした。自分の生きている間が平和であれば安心だと言いました。
私たちは自分に与えられた寿命がどれくらいかは、分かりません。いつ死ぬのかということも無視することはできません。しかしいつ死んだとしても、自分の命をどのように用いたかが大切なのです。
一人ひとりに神からの使命(命を使う)があります。命は自分のためだけに生きていると不完全燃焼し、まるで一酸化炭素のようなよくないものが出てきます。命は神によって与えられたもの、私たちは神に似せて造られています。それゆえ神が愛であるように、神を愛し隣人を愛することで、私たちの命は完全燃焼するのです。
今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。