【#297】思いを超えたことが
やましさはありませんが
4月のはじめにM校長から電話がありました。「入学式に来られていませんでしたね?」「聖別会にもお顔が見えませんでした」と言われるのです。入学式は通信科の主任に行けない旨を伝えていましたし、聖別会は第1金曜日なので三浦綾子読書会がありました。特にやましいことはないはずなのですが、M校長の問いかけに何だか協力できていないことに、申し訳なさを感じました。
続いてM校長は「8月のCBCキャンプに講師として奉仕をお願いします」と言われたのです。「えぇ・・・」と思いました。今年は諸種の理由で、ある聖会の奉仕依頼をお断りしています(ごめんなさい)。しかし上記の流れで申し訳なさを感じていた私は、聖書神学校の働きに携わっている者でもあるので、職務として奉仕をお引き受けすることになりました。
初めてと、初めてじゃないような
祈って備えながら、8/22-24のキャンプの前日に東京入りしました。ジメジメした暑さに、来たばかりなのに「早く帰りたい」と思いました。会場は日光オリーブの里というところで、名前はよく知っていましたが、初めての場所でした。なかなか良い施設ですね。
久しぶりにお会いする方々、入学式に行っていないので初めてお会いする方々も多くおられ、やはり直接お交わりができることは、大きな恵みだなあと思わずにはおれませんでした。私の講義を視聴された方々から、「画面越しではよく知っていますが、お会いできて嬉しいです」と言われ、何だか芸能人みたいでこそばゆい感じがしました。
また入学されて2-3年を経ている神学生から、「先生と初めてお会いすることができました」と言われ、私の頭の上に「?」が現れました。机の横に貼っている神学生の皆さんの顔写真を見ながら祈っているので、私の中では初めてという感覚がなかったのです。
私の知らないところで
聖会では神学生も教師もスタッフも1つになって、聖霊に導かれながら祈ることができました。何人かの神学生と話をしながら、またキャンプ後のメールのやりとりなどから、私の知らないところで聖霊が豊かに働いておられたことを知り、ただただ主の御名をあがめるばかりです。
通常のクリスチャンキャンプでは、神学生は参加者のために様々な奉仕をし、懸命に仕えておられます。しかし今回のキャンプでは、聖書神学校の教師やスタッフが、BBQの準備から何から何まで、神学生に心から仕えておられる姿に感動しました。目に見えないところでも、どれほど多くの準備をされてきたことでしょうか。将来の良き働き人の育成のために、汗を流されている先生方やスタッフに改めて尊敬の思いを抱くばかりでした。
「蒔かれた種が実を結び 色づき出す」その時があることを、そして彼らと共に刈り入れの恵みに与る日があることを望み見ています。
今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。
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