【#90】わが身の幸は
F師の愛唱賛美
先々週、長き年月、北海道で伝道者としての働きをなされ、引退教師となられて高知の施設に入られていたF師が天に召されました。厳しいけれど優しい伝道者、優しいけれど厳しい伝道者だったと、尊敬の思いを抱いています。ある時、私を励ますためにFAXをくれましたが、字が小さくて読めませんでした。パーキンソン病は、字が小さくなっていく小字症を伴うからでしょう。字は読めなくても、確かに伝わってくるものがありました。南国の高知に行かれてから、毎冬、紋別と北見に特別な思いを示してくださいました。感謝に堪えません。
告別式の司式第を画像で送ってもらったところ、F師の愛唱賛美が「讃美歌514番 弱き者よ我にすべて」と記されていました。聖歌が中心となっている葬儀の中で讃美歌と記されているということは、聖歌に無い曲か讃美歌の歌詞の方を選ばれたということだと思い調べたところ、聖歌にはない曲でした。英語の原曲では「Jesus paid it all」となっていました。
2つのメロディ
讃美歌「弱き者よ我にすべて」(Jesus paid it all)のメロディを、知っているような知らないような、何とも不思議な感じで聞いていました。その時、思い出したのは、聖歌555番「来たれ、なれを清むれば」(I hear Thy welcome voice)です。いかがでしょう、似ていると思わないでしょうか?(下記はハングルです)
2つの曲のメロディは異なりますし、作者も違います。讃美歌の「弱き者よ我にすべて」(Jesus paid it all)は1865年に作られたようで、聖歌「来たれ、なれを清むれば」(I hear Thy welcome voice)は1872年のようです。もちろん盗作とかそういうことではなく、後者の作者がメロディを作る際に、心にあった前者のメロディなどが無意識に重なったのかもしれません。これは作曲者によくあることですし、あるいは似ていると思うのは私だけかもしれません。
基本的に私は讃美歌ではなく、聖歌を歌う教会で育ってきたので、聖歌の方が馴染みがあります。でも詩情の豊かな讃美歌の歌詞も好きですね。
先週の礼拝で、讃美歌の方を皆さんでご一緒に歌いました。私は特に1番と2番の歌詞が心に迫ってきました。本当にそうだなあと思います。日本語訳は英語をかなり意訳していて、なるほどなあと思います。
さあ、明日は4月最後の主日礼拝です。昨日、やっと北見も桜前線が到着しました。TOP画像は教会近くの公園の桜です。私の友人は「桜が咲くと心までも開かれていくようだ」と言いました。弱き者、固き心を持つ者ですが、復活の主を仰いで心が開かれていく礼拝を皆さんと捧げます。
今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。
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