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【#254】ピスガの頂き

S先生のスピリット

 今週月曜日の夕方、良き信仰の先達であるS先生が、地上での生涯を終え、92歳で主のみもとに召されました。委員会中にその知らせを聞き、私が長をしている委員会なので、心を騒がせることなく議事を進めました。委員会の最後に、S先生を偲びつつ、主の慰めや励ましがご家族と教会の皆さんにあることをお祈りしました。

 浜名湖の祈祷聖会でも、S先生と働きをご一緒させていただきました。私にとっては伝説のK先生が中心となって始められた働きで、S先生がその後のリーダーを務められますた。理事長という要職にあっても、この祈祷聖会での奉仕を大切にされていました。祈祷聖会での奉仕は働きと言うよりも、リバイバルのために一緒に仕えるというものです。手弁当で(断食なのでふさわしくない表現ですが)、一人の祈り手として膝をかがめて祈るスピリットを、私はS先生をはじめとする祈祷団の先生方から学ばせてもらいました。

▲ NEW断食祈祷聖会のサイト

 祈祷聖会のキャッチフレーズとなっている「じっくり、ゆったり、たっぷり祈る」という言葉も、S先生が話されていたのを私が「JYT」として案内に用いるようにしました。

御自分で歩かれて

 ある時、礼拝中に講壇の上で倒れられたことがあったと聞いています。かなりの脱水状態だったようです。救急隊が来て担架で運ばれながら、意識のあったS先生は、教会の皆さんが聖霊に満たされて祈っている姿を見て安心されたということでした。礼拝は途切れることなく、続けられたようです。

 今回、入院(誤嚥性肺炎だったのではないかとのこと)の当日も自分でトイレに行かれ、迎えに来た救急車に乗るため玄関まで御自分で歩かれていた、とお聞きしました。最後までしっかりとされ、入院後それほど経たずに息を引き取られたようです。

 私はその様子をお聞きして、申命記34章にあるモーセの最期のようだなあと思いました。モーセは120歳で主のみもとに召される時、モーセも自分で歩いてピスガの頂きに登りました。そしてモーセ自身は入ることのできない約束の地を、主によって見せられました。申命記3章でもそのことについて触れられていて、モーセはヨシュアを励ますようにと進められています。聖歌247番の「楽しき祈りよ」の3番では、モーセは天の御国をも仰いでいたと解釈しています。それもまた信仰の眼差しだなと思うのです。

楽しき祈りよ わが目は見渡す
ピスガの峰より 天なる御国を
この身はまもなく 肉の衣を脱ぎ
叫びつつ昇らん 「さらばや、浮世」と

聖歌247番「楽しき祈りよ」

 モーセがヨシュアを励ましたように、S先生から受け取ったものを励みにしてリバイバルという新しき地に踏み出せたらと願うものです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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