【#39】2022年の終わりに思うこと
思わず祈っていました
紋別で2度目の停電があった25日(日)の夜、私と一緒に聖書の学びを継続している紋別のYさんからメールが届きました。その冒頭に、教会へ行く途中の出来事を記してくれていました。停電復旧のために電力会社(あるいはその関連会社)の方々が、電柱に登って一生懸命に作業をしていたそうです。雪の降る寒い中、本当にありがたいことだと「事故がありませんように」と思わず祈ってしまいましたとのことです。
私はその一文を読んで「Yさん、すごいなあ」と思いました。「思わず祈ってしまいました」というところに、感動しました。Yさんの祈られる姿に敬意を覚えずにはおれませんでした。そして同時に、自分の祈りの小ささを示されたのでした。紋別の教会のことや神学生のこと、その日の礼拝のことを心配して、主の守りと支えを祈っていましたが、重く湿った雪の降る荒れた天候の中で、身を粉にして最前線で復旧作業をされている電力会社の作業員の方々へ、思いが至っていませんでした。
今さらなのですが、悪天候の中、停電復旧のためにご尽力くださった皆様に、心から感謝を申し上げます。冬の北海道で、2度に渡る大規模停電の中、早期の復旧を本当にありがとうございました。見えないところで汗をかいている方々に、主の報いがありますように。そして戦争などのために、停電を強いられている中で日々を過ごされている方々に、一刻も早く主の平和が届けられますように。
全ては恵み
Yさんの祈りに敬意を覚えて嬉しく思うように、この1年を振り返って喜べることや感謝できることが多くあります。同時に、自分の祈りの了見の狭さを反省したように、情けなくて、もどかしくて、相変わらずで、上手くいかなくて、こんなはずではなかったと思うことも多くあります。多かれ少なかれ、様々なことが合わさっている1年でしょう。
心踊るようなこと、思い出し笑いをするようなこと、不思議だなあと主を仰ぐこともありました。大いに主なる神に感謝を捧げます。だからと言って、嫌な事柄は忘年会のように忘れてしまって、上手くいったことを数えて喜びながら年を越すということではなく、この1年の全ては神の大きな御手の中にあったということを信じて、来たるべき新しい年を迎えればと願っています。
読者の皆様にとりましても、この1年を振り返っておられることでしょう。私たちの父なる神は、「嬉しいことも悲しいことも、あなたはよく生きたね。よく頑張ったね。味わいある1年だった。なかなかの人生だね」と言ってくださる恵みの神なのです。年の終わりに思うこと、それは、全ては恵みなんだなあということです。
ご挨拶
コロナ禍での行動様式も変容してきたので、2022年は「3年ぶりの・・・」という対面行事を幾つも経験しました。10月から再開したこのblogも、はからずも3年ぶりとなりました。読んでくださる方々のお一人が、少しでも天を仰ぐもの、神の恵みと慈しみを覚えるものになればと祈りつつ、来年も継続して綴っていく予定です(火、木、土の週3回)。ご贔屓いただければ感謝です。
さあ、明日は元旦&新年礼拝です。北見は地域性などを加味して、午後2時からの礼拝です。紋別は10時半からです。初詣は教会へどうぞ!
新しい年も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日1日を過ごされますように。