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【#211】ひっくり返りポイント(メッセージの断片集66)

2月18日(日)の様子

 この日、私は紋別に行ってきました。流氷が見えるかなあと楽しみにしていたのですが、残骸のようなものがプカプカ浮いているだけでした。流されて沖の方へ行っているようです。今年は斜里や知床の方に多くの流氷が流れているようです。(下記はNHKの流氷カメラで、今年は紋別に設置されているようです)

 北見の礼拝は、前半の賛美などの部分を妻が司会をし、聖書のメッセージは紋別から私が語っているライブ配信の様子を共有し、後半部分は再び妻が司会をするという、変則的なハイブリッド礼拝でした。この日、スマホとコンデンサーマイクをつなぐアダプタを持参し忘れてしまっていて、音がどれほど入るか心配していました。しかしさすがiPhoneです。「ちょうどよい感じ」で音声が入っていたということで、安心しました。

 紋別ではインドネシア出身のYさんと初めて会いました。そして函館近くの八雲におられるはずのOさんが紋別の礼拝に来られ、驚きました。Oさん、興部町に勤務していた時は紋別の教会に、網走時代は北見の教会に、そして数年前に八雲に行かれてからは函館の教会に出席され、不思議に私が責任を持つ3つの教会に続けて集われています。神出鬼没のところがOさんらしいです。

 この日の午後は教会会議があり、昨年の恵みをご一緒に数え、今年の計画を希望を持って確認しました。私たちの計画にないことも、きっと主が備えてくださっていることも信じます。帰りに遠軽のAさん宅により、昭和8年生まれのAさんのお父さんとしばしお交わりの時を持ちました。いろんなお話を聞かせていただきました。午前8時前に北見を出て、午後8時過ぎに北見に帰り着き、充実の1日でした。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

実りを邪魔する心の状態

 聖書は、主イエスを信じたら雨も風も嵐も日照りもない生活を送れるとは約束していません。むしろ主イエスを信じて、神の言葉に根差して生きるなら、試練や困難が起ってきたとしても、耐える力、乗り越えて生きていける力が与えられていくのです。「どうして主イエスを信じているのに、こんなことが?」と思うのは、御言葉に根差した思いではありません。むしろ「このことを乗り越えるために、私は信仰を与えられている」と思える、これこそ主の言葉に根差している力なのです。

 もし御言葉の種が深く根付いていたら、強い日差しがあっても枯れることはありません。根から水分を吸収しているので、太陽の熱があればあるほど、むしろ逞しく成長するのです。神の言葉に深く根ざしている信仰があれば、試練という熱い太陽の日差しでも枯れることはなく、むしろその試練によってさらにひと回りもふた回りも成長させていただけるのです。(今日のひっくり返りポイントですよ!)

正しい、良い心を持つ

 正しい、良い心とは何でしょうか? 自分で自分に問いかけてみて、「はい、私の心は正しいです!」と自信をもって言うなら、多分、その人は正しい心じゃないと思います。「私の心は良い心です、誰が何と言おうと、良い心です」と言えたり、思ったりしている人は、あまり良い心とは言えないでしょう。

 では正しい心とは何でしょうか? それは神を正しいとする心と言えるでしょう。良い心とは、神を良いお方と信じていく心と言えます。「主よ、どう考えてもこの聖書の言葉には従えません。それがおかしいです」と感じるところで、「しかし主よ、あなたこそ真に正しいお方です、あなたに従わせてください」と祈ることができる、それこそ正しい心です。

 人の悪や罪が満ちていても、様々なことがあっても、それでも「神は善にして善をなされるお方、あなたは良いお方です。人の悪でさえも、あなたは善のために用いることができます。あなたは良いお方です」と、神の善を信じる心、主が良いお方であることを信じる心、それが良い心です。(ここもひっくり返りポイントですよ!)

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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