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【#222】22年前の答辞

 前回は在校生としての送辞でしたが、今回はその1年後、卒業生を代表しての答辞です。卒業式という式典ではなく、卒業祝会という少し打ち解けた会でのものです。前年の送辞を読み返しながら答辞を作っていることが分かります。また22年前の私が言いそうな内容だなあと思います。あの時から成長しているのかなあ?

▲ 今年度の卒業式で飾られていた花(2024年3月5日)

 ある者は3年前、そしてある者は4年前、5年前、期待と不安を胸に抱きながら、私たち卒業生はこの駒込山にある中央聖書神学校の門をくぐりました。

 ここに一枚の切符があります。3年前、私が入学試験を受けた日に、この日の気持ちを忘れないようにと、駒込駅で購入したものです。3年の月日が過ぎると、もう随分色あせてしまいました。私たちが在学した3年、4年の間、たくさんの節目となる出来事があり、駒込山の風景も随分変わりました。校門をくぐって右手のI師宅、その奥にあったお化け屋敷のよな女子寮(!)、そして潰れかけの男子寮など、とても懐かしいです。(実際、数週間後には取り壊されました)

 私たちの在学中に、教団創立50周年を迎えました。様々な記念行事を通して、アッセンブリー教団の歴史を振り返り、ペンテコステ信仰を受け継ぐことの感謝と責任を心に刻みました。そして全国の諸教会の祈りと捧げ物により、素晴らしいチャペルと寮が建ちました。また在学中に中央聖書神学校創立50周年も迎えました。くしくも20世紀から21世紀へと時代も変わりました。そして私たちは、過日、天に召されたY先生から祈られた最後の神学生でもあります。

 そのような節目節目の数年間、敬愛してやまない先生方が忍耐をもって、またキリストの愛をもって私たちをご指導くださり、祈ってくださり、心から感謝申し上げます。先生方から実際的に学んだこと、また交わりを通して教えられたことを私たちの心に刻んで、これからの伝道牧会に生かしていきたいと願っています。これからも宜しくお願い致します。

 在校生の皆さん、本当にありがとう! 同じキリストに出会ったからこそ、そして神の召しに与ったからこそ、数年間をこの駒込山で共に過ごすことができました。欠けだらけの土の器の集まりです。しかし私たちの内には確かにキリストという宝があり、そのキリストを分かち合いました。単に数年間という人生の一コマを共に過ごしたという間柄ではありません。日本全国、そして世界各地に別れて行ったとしても、私たちは同じキリストを宣べ伝えるがゆえに、これからもキリストに在って祈り合い、励まし合い、互いの賜物を生かし合っていくことができると信じています。

 3年という月日が過ぎ、この切符はもう色あせてしまいました。しかし、私たちがこの中央聖書神学校の校門をくぐったその日に抱いていたキリストへの献身、魂への情熱は色あせることなく、さらに燃やされ続けていきます。おとなしい、静かだ、と言われた私たち52期生ですが、小さくまとまることなく、御言葉の約束をしっかりと握って、良き訪れを告げる足音を響かせてこの山を降りていきます。

2002年3月1日
中央聖書神学校 第52期生代表 ◯◯◯◯

▲ 今年度の卒業式の様子(2024年3月5日)

さあ、明日は主日礼拝です。妻は紋別へ行っての礼拝奉仕です。主イエスに出会ったこと、救われていることの恵みは色あせることなく、共に礼拝をささげる一人ひとりにさらに豊かにされていきますように。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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