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【#127】ラバンという存在(メッセージの断片集41)

7月23日(日)の様子

 梅雨が無いと言われていた北海道なのに蝦夷梅雨(えぞつゆ)以上の雨降りがあり、そして夏日や猛暑日が続き、年々北海道の本州化が進んでいるような気がします。それでも内地のような「危険な暑さ」でも、ジメジメムシムシした暑さでもなく、やはり北海道だなあと思うものです。

 この日の礼拝に、紋別からYさんがバイクで集われました。北見のほとんどの皆さんにとっては、画面越しや画像で見ていたYさんと、初めてリアルでお会いすることになりました。学生時代にアメフトをして、今も体を鍛えているリアルのYさんは、画面越しよりも大きく見えたことでしょう。直接会えるという喜び、共に主なる神を仰ぐ幸いを御一緒することができました。(Yさんが整形外科医ということで、礼拝後、ご自分の症状を尋ねておられる方もおられました!)

▲ 紋別からバイクで来られたYさん(2023年7月23日)

 皮のパンツに、バイク用の頑丈なジャケットやベスト、そしてフルフェイスのヘルメット。誰もが思うことを尋ねました、「暑くないですか?」。するとYさん、さわやかに「暑くないですよ。言ってみれば、冬にサーフィンをするサーファーが寒さを感じていないのと同じでしょうね」との返答。なるほどね〜。

 帰りは颯爽とバイクに乗って帰られたYさんと入れ違うように、M君が教会に来られました。朝3時半まで資格試験の勉強をしていたとのこと。一緒に昼ご飯を食べ、翌日からの関東出張、来週(7/30)の資格試験のためにお祈りしました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

自分の罪と向き合う

 「なぜ、私をだましたのですか」というヤコブの言葉は印象的です。なぜならヤコブ自身が騙す者だったからです。ここでの出来事は、かつてヤコブがしてきたことと非常に対照的です。
 ・欺いたヤコブが、ラバンに欺かれている。
 ・兄を出し抜いた弟が、妹よりも姉を先にと強いられる。
一見無関係な2つの出来事ですが、ヤコブの最も弱い部分、ヤコブ自身の罪と向き合うようように、主なる神はラバンの出来事を用いています。

 私たちも、私たちが思うラバンという存在を通して、自分ではどうにもならない弱さ、かたくなな心、まっすぐにしたいのに曲がっているもの、暗いもの、動かそうにも梃子でも動かない重いもの、主なる神が取り扱ってくださるのです。

主の臨在の中を歩む

 「主が私と共にいる」という主の臨在を大切にしない時、状況に振り回されることになります。大切なことは状況や相手がどうであれ、今日、主の臨在の中を歩んでいるかということです。「主が共にいるなら、どうして物事がうまくいかず、嫌な人がいる?」ということではなく、主の臨在の中を主と共に歩む時、たとえ嫌な人がいても、物事がうまくいっていかなくても、それでも平安をもって歩んでいけるのです。愛する兄姉、主なる神はあなたと一緒に歩みたいのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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