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【#131】安息という時間

またかいな

 7/10(月)-13(木)の関東出張で、湿気を含んだ酷暑に参ってしまいました。北海道に帰ってから発熱、副鼻腔炎の症状が出たので、すぐに頑固そう(!)な耳鼻科の医師に「またかいな」と言われながら薬を処方してもらい、症状はしばらくして治まりました。6月の本州(関西&東海)出張後も、帰ってきてから発熱&副鼻腔炎で同じ医師に診てもらっていたからです。

 7/17(月)の帯広往復に続いて、翌日から実家の前泊も含めて3泊4日での神戸出張でしたが、今回は身も心もリフレッシュして帰ってきたのです。出張後にお世話になっているあの頑固そうな耳鼻科の医師は「お、今度は来ないな。余分に薬を出したから」と思っているかもしれませんが、出張前よりも元気になって帰ってきたのは別の理由が大いにあります。

▲ 母の家ベテル(2023年7月20日)

わっくんの!?

 元気になった理由として、実家でリフレシュしたこと、教会の皆さんが祈祷会で祈ってくださっていたこと、久し振りに対面で再会した気のゆるせる同僚の先生方、自由時間に会えた牧師、などなど。そして会議で使用した宿舎が「母の家ベテル」という施設だったことも、リフレッシュできたことの大きな要因でした。

▲ 施設のちょっとしたところに花が活けられていました。(2023年7月20日)

 神戸の御影にある母の家ベテルは、姉が結婚式を挙げたところです(TOP画像が礼拝堂)。歳下の義兄の父がルーテル教会の牧師だったこともあり、義兄は少年時代からこの施設に出入りしていたようです。実家に前泊した時、今回の会場が母の家ベテルだと告げると、「僕の名前を言ったら、シスターたちは全員知っているよ」と言うのです。私は半信半疑でシスターに「◯◯◯◯の義理の弟です」と挨拶をすると、「えー、わっくんの!?」と見る見るうちにシスターの顔がほころびました。「わっくんって呼ばれてたのかぁ」と思うのと同時に、一気にシスターと私との距離が縮まりました。

聖なる静けさ

 母の家ベテルは1985年に建てられたようですが、丁寧に使われていることがよく分かります。今回は、私たちだけが施設を利用しているという貸し切り状態でした。施設内や宿泊部屋にはテレビがありません。会議も順調に進み、聖なるものに包まれているような、心に沁み入る静けさがありました。だからと言って静寂という言葉が思い浮かばないのは、シスターたちの表情や言葉に柔らかい明るさがあるからなのでしょう。

▲ 一人部屋でした。(2023年7月19日)

 朝、7時から8時まで礼拝堂(チャペル、TOP画像)を開放してくださり、聖書を開き、心を静めて祈ることができました。1泊2食で6700円。宴会のようなお食事ではなく家庭料理の少し上品版という感じで、朝食も夕食もとても美味しかったのです。静けさの中で贅沢で豊かで、会議もあるのですが安息という時間を過ごしているように感じました。それはきっと、この建物の真ん中が5階から1階まで吹き抜けになっていて、「まさにここはベテル(ヤコブの梯子)なんだ。天の門、神の家なんだ」という思い至ったこともあるでしょう。

▲ チャペル横の屋上テラスの柵がステンレス製でした。
父が経営していた工場は、このようなステンレスを扱っていました。(2023年7月20日)

 いつか妻も連れて来たいなあと何度も思いました。ただ、妻は聖なる方なので、そのまま残って「シスターになる」と言われてしまいそうなのが気がかりです。

▲ 4人のシスターたちと、気のゆるせる同僚の先生たち(2023年7月21日)

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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