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【記事最後に自己紹介も兼ねて】子供の頃の経験が今の自分を形作る

幼い頃の祖父母との思い出

子供の頃って、すべてが新鮮で、未知の経験にあふれていますよね。私にとって特に心に残っているのは、両祖父母との思い出です。

私の家族の中では、父方の祖父と母方の祖母はすでに他界しており、父方の祖父は悪性腫瘍で、母方の祖父母は交通事故で亡くなりました。

多くの思い出は今でも心に深く刻まれていて、ふとしたときに「あの経験が今の自分に繋がっているんだな」と感じることがあります。そんな大切な記憶の中から、いくつかをピックアップしてみたいと思います。

ちなみに、私は1995年生まれ。今年で30歳になる男です。
私が4歳~15歳くらいの頃のお話です。


◇父方の祖父母

1.林業試験場の見学

父方の祖父母は、私と同じ美唄市に住んでいて、私の家からも近い場所に暮らしていました。祖父は消防署と林業試験場で働いていたと記憶しています。

祖父の車に乗せてもらって林業試験場まで行き、いろいろな草木を見て回ったり、虫取り網を持って蝶を追いかけたり、夜にはクワガタを捕まえに行ったりしました。小学生の頃の私は夜が少し怖かったのですが、クワガタ捕りには無理やり連れ出されたような記憶があります(笑)

2.池や川で水中の生き物を捕まえる

よく遊びに行った美唄の和田公園、池に鯉がたくさんいます

地元の池がある公園や川にも連れて行ってもらい、鯉釣りやザリガニ釣りを楽しみました。池にたくさんのエビもいたなぁ。今では失われてしまったかもしれない、昔懐かしい遊びですよね。

釣り竿を買いに行ったり、釣り針の結び方を教えてもらったり、どんな餌を使うのかを学んだりと、釣りを通していろいろなことを覚えました。おばあちゃんと一緒に、小麦粉とアミエビをこねて作った餌を作った記憶が今でも鮮明に残っています。

3.家から近くていつでも遊びに行けた

庭の木に登って遊んだり、虫眼鏡で日光を集めて黒い画用紙を燃やしてみたり、ノコギリやトンカチを使って木工をしたり…。友だちをたくさん連れて集まり、みんなで駄菓子やかき氷を楽しんだりもしました。

今思えば、「孫」という立場をいいことに、やりたい放題させてもらっていたな…なんて思います(笑)

◇母方の祖父母との思い出

1.士別市の浄水場を見学

母方の祖父母は士別市に住んでいて、私の地元の美唄市からは父の運転する車で高速道路で1時間半かけて行っていました。

祖父は学校の先生を退職した後、浄水場で夜勤の仕事をしていたと認識しています。たぶん5歳くらいのことだから25年ほど前のある夜、突然車に乗せられて祖父が務めていた浄水場に行きました。抱っこしてもらって浄化槽を見たり、たくさんの蛇口から出ている水をチェックしてきれいな水を飲んでみたり、操作パネルを見せてもらった記憶があります。金属とコンクリートの塊みたいな施設だったのが印象的でした。

2.工作と版画

木枠と布でできたキャンバスに描かれた祖父の作品

祖父と一緒に作ったいろんな工作の思い出が蘇ります。ハンガーで作った輪ゴム銃で遊んだり、河川敷で手作りの凧を揚げて遊んだり、士別市の池のある大きな公園で、燃料に火をつけて熱気球を飛ばして遊んだりしました。

あと祖父は絵画や版画の作品をいくつか残していて、その版画を作る手伝いでバレンを使ってひたすら擦って墨を塗ったりしてました。

あと、祖父との思い出で一番記憶に残っているのは、祖父の運転する車に乗って遊びに出かけたときガソリンがほぼない状態で、ガソリンスタンドの手前で道路の真ん中でガス欠したことですね笑

祖父の車はハンドル式でぐるぐる回して開けるタイプの窓でした。急に景色が止まって祖父が車の外に出ていったのを窓を開けて見た記憶があります。

3.掃除の手伝い、園芸とパン作り

こんなブラウン管テレビだった気がする、画面を思い切り水拭きしてた。

祖父母の家まで遠く、遊びに行ったときは1泊することが多々ありました。祖母は朝起きて朝食を食べた後は掃除をする習慣で私も手伝っていました。深緑色の手ぬぐいでブラウン管のテレビの画面を拭いたり、廊下の床と階段を拭いたりしてお小遣いをもらっていました。そのお金でゲームセンターで遊んだり、ゲームやおもちゃを買ったりしました。

ゲームボーイアドバンス、ゲームキューブ、PlayStation2の時代です。
お金を遊びやゲームにばかり使ったことを、大人になった今はちょっぴり後悔しています(ゲーム好きは父の影響)。

祖母の植えたブルーベリーの寿命が来る前に、挿し木で増やしたいけど難しい

祖母は園芸や手作りパンが趣味で、庭のブドウを取って食べたり、バターロールを一緒に作ったりしました。今もなお、私の実家の畑には祖母が植えたブルーベリーの木が生きています。

そういえば、私がコーヒーを初めて飲んだのは6歳くらいのときに、祖母が作ったインスタントコーヒー(NESCAFE GOLD BLEND)だったかもしれません。

◎過去を振り返りつつ、自己紹介をします

自己紹介も兼ねて、私がどんな人間なのかをバーッと書き出そう思います。

綺麗好きで掃除が得意

この状態まで分解清掃して元に戻すなんてお茶の子さいさい。

PS4コントローラーの分解清掃、クラシックギターとアコギの弦交換、コーヒー器具・農具のお手入れをいつもしています。お風呂の掃除やシンクをピカピカに磨くのもお手の物ですよ。

楽器への興味や美的センスは祖父からの影響が大きいですね。
掃除の習慣は祖母から学びました。

自然への興味関心が強い

2024年8月8日の実家の畑の様子。緑に溢れていて、色んな生き物がいます。

実家の畑を使って家庭菜園をしています。祖母が残したブルーベリーの木も手入れをして大切にしています。特に今は自然農法を取り入れて雑草も活かしたやり方で楽しんでいます。

祖父に連れ出されて自然と触れ合うことが多かったり、祖母の家庭菜園で小さな畑を見て回るのが好きでした。

手作りへのこだわり

コーヒー焙煎だけではなく蕎麦打ちもしています。独学で始めました。Youtubeって本当に便利。

自分の手で何かを作ることが人生の楽しみです。コーヒーを焙煎したり、ワッフルを焼いたり、種から植物を育てたり…。

祖父母がやっていたように、0から自分で作ることが楽しみ。
自分の手で作るものが一番安全だと思っています。

お金よりも健康や命が何よりも大事(交通事故の描写が書かれているので閲覧注意)

母方の祖父母が交通事故で亡くなったのは12歳くらいの頃。祖父母が祖母の胃がんの検診で病院に向かう途中、草木で見通しの悪い十字路でスピードを出してきた車に突撃されたと聞いています。

祖父は心臓破裂で即死、祖母は意識不明でそのまま亡くなりました。

病院で亡くなる直前の祖母の手はまだ暖かかった。そして数日後、祖母の冷たく青ざめた手を握った。

お葬式のあと、お仏壇の前で祖父母を悼む母が「まだここにいる」と。風が吹かない部屋の中で、蝋燭の火がひとりでにゆらめくのを見て、自分もそこにお爺ちゃんとお婆ちゃんがいる気がした。

あと、祖父母の銀行口座からお金を引き出せなかったような話をしていたような記憶があった。

お金には替えられない、命の儚さのようなものを早いうちに理解しました。

中学、高校で陸上部で頑張ってきて、高校3年生の最後の大会で全道優勝してインターハイに出場しましたが、頑張っている立派な姿を祖父母に見せたかったのが解消することができない心残りです。
祖母が亡くなる前に最後に会った日、反抗期の始まりの頃で、いつもやっていた朝のテレビ拭きや床拭きを拒否してしまったことも心残りです。

まとめ

2025/01/19は父方の祖父の七回忌だったので、過去を振り返るいい機会だなと思って記事を作っていたら3000字を超えてしまいました。

過去のエピソード記憶やイメージ記憶を忘れないうちに、文字に起こせるうちに残せて良かったと思います。

皆さんも祖父母との思い出を振り返ると、改めて今の自分を深く知る良いきっかけになるかもしれません。

あと、ハゲが隔世遺伝するなら私もハゲるかもしれない。

2025年1月1日になった瞬間の写真。こんな自分ですが今後もよろしくお願いします。
ヒゲは剃りました。


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