Tony Shhnowに繋がるアトランタヒップホップ
2023年に活躍が期待されるアーティストを紹介するTURNの企画「The Notable Artist of 2023」に参加し、アトランタのラッパーのTony Shhnowについて書きました。
記事ではTony Shhnowがアトランタヒップホップに対して意識的で、アトランタのスタイルとしてプラグを取り入れていることについて書きました。また、トラップ史の話も少ししています。
アトランタはトラップ発祥の地であり、その歴史を振り返るとそれに繋がるような曲は古くから発見できます。そこで今回は、Tony Shhnowに繋がるようなアトランタヒップホップの大まかな流れを書いていきます。記事に登場する曲を中心にしたプレイリストも制作したので、あわせて是非。
初期のアトランタのシーンはフロリダの2 Live Crewの影響が強く、いわゆるマイアミベース系のスタイルが根付いていました。マイアミベースとトラップは808の使用という点で共通しており、この時点でその芽があったと言えるでしょう。黎明期ではBeyoncéが最新作でサンプリングしたKilo Aliや、The-Dreamをいち早くフックアップしたRaheem the Dreamなどが活動。MC Shy-Dが1987年にリリースしたアルバム「Got to Be Tough」収録の「Yes Yes Y'all」では、マイアミベースほど早くはないBPMで現在のトラップにも通じるようなドラムを聴くことができます。
そのほかトラップに近い取り組みを行っていたラッパーとしては、Hitman Sammy Samが挙げられます。Hitman Sammy Samが参加したD.J. 1.5の1988年のシングル「Hitman」では、手数の多い808が効いたトラップのプロトタイプのようなビートを採用。その後も所属グループのOomp Campの面々でトラップ的なサウンドを聴かせてきました。1990年代には、OutkastやGoodie Mobなどの強力グループを擁するコレクティヴのDungeon Familyが登場。また、よりG色の強いGhetto MafiaやAdamnshameなども活動していました。
Oomp Campの面々もG色が強く、その周辺とも絡みのあったPastor Troyも同様です。Three 6 Mafia周辺から登場したT-Rockのようなラッパーの活動もあり、この頃からアトランタとメンフィスが接近するような例が見え始めます。さらに、Adamnshameが使用していたスタジオの名前が「Da Trap Studio」だったり、「トラップ」という言葉も使われるようになっていきます。これらは現代のトラップにも確実に繋がる動きです。CMPが1999年にリリースしたアルバム「Da' Game」収録の「Ballin'」などではプラグにも近いものを聴くことができます。
2000年前後にはDungeon FamilyのKPのフックアップでT.I.が登場し、2001年には1stアルバム「I'm Serious」をリリース。T.I.はDungeon Family的な要素やJay-Zからの影響も感じさせるスタイルでしたが、ボーナストラックとして収録された「I'm Serious」のリミックスにPastor Troyが参加するなどアトランタGの要素もありました。現代のトラップに通じる細かいハイハットも聴くことができます。T.I.は2003年には2ndアルバム「Trap Muzik」をリリースし、トラップという言葉を本格的にシーンに運ぶことに成功。この後トラップは音楽性を確立してブレイクします。
トラップという名前がさらに広がるきっかけとなったのがYoung Jeezy(現Jeezy)で、2005年の1stアルバム「Let's Get It: Thug Motivation 101」でシーンに衝撃を与えました。同作では低音の鳴り以外、現代のトラップとかなり近いビートを聴くことができます。アドリブを多用したラップスタイルも現代的です。「Trap Star」や「Trap Or Die」といったタイトルにトラップと入る曲の存在もあり、この頃からトラップが本格的に確立されていきます。なお、TURNの記事でも書きましたが同作にはTony Shhnowもオマージュを捧げています。
その後Gucci Maneがミックステープの精力的な発表でじわじわと人気を拡大していき、客演した周辺ラッパーのOJ Da Juicemanのシングル「Make The Trap Say Aye」のヒットを機に本格ブレイク。同曲を収録したアルバム「The Otha Side of the Trap」は、タイトル通りT.I.やYoung Jeezyとは違うトラップの別サイドを提示しました。このGucci Mane系トラップは後進に大きな影響を与え、プラグの誕生にも繋がっていきます。
2000年代トラップの重要人物としてはT.I.とYoung Jeezy、Gucci Maneの名前が挙がることが多いですが、Shawty Loも重要なラッパーです。D4Lのスナップ名曲「Laffy Taffy」でシーンに登場した後、その余裕たっぷりのルーズなフロウで「Dey Know」や「Dunn, Dunn」などの名曲を次々とリリース。Killer Mikeの「2 Sides」など客演でも名曲を残し、Gucci Maneとの共演も多く並んで人気を集めました。
T.I.はDungeon Family周辺から登場したラッパーでしたが、そのDungeon FamilyからもFutureがトラップ路線で2010年前後にブレイクを掴みます。Futureも2011年にはGucci Maneとのタッグでのミックステープ「Free Bricks」を発表しており、Dungeon FamilyといえどT.I.というよりGucci Maneに近いタイプです。やはりGucci Maneの存在の重要性が伺えます。また、2010年にはやはりGucci Mane周辺ラッパーのWaka Flocka Flameのシングル「Hard in da Paint」がヒット。この頃のGucci Mane周辺の勢いは凄まじいものがあり、2013年にはGucci ManeのメインプロデューサーだったZaytovenが制作したMigos(R.I.P. Takeoff)のシングル「Versace」がヒットし、ヒップホップに三連フロウが浸透していきます。
また、プラグの生みの親であるBeatpluggzもこの頃に活動を本格化。Rich Homie QuanやYoung Thugの活躍もあり、この頃からトラップがそれまで以上にシーンに定着し、アトランタからの新しい波が全米へと広がっていきます。
Migosは2016年、シングル「Bad and Boujee」の大ヒットにより人気をさらにアップさせます。そして21 SavageやMetro Boominといった現行トラップの重要人物もこの頃に飛躍。Playboi CartiやRich The Kidなどがプラグを取り入れたスタイルで快進撃を進めていったのも2010年代半ば頃のことです。以降はYoung ThugやFutureの活躍、Playboi Cartiの本格ブレイクなどでアトランタ勢はより強固な地盤を構築していきます。
そして2019年にTony Shhnowが初のミックステープ「Da World Is Ours」をリリース。その後多くの作品を発表して知名度をじわじわと拡大していき、現在に至ります。TURNの記事でも書きましたが、Tony Shhnowはアトランタの先人との繋がりが確かに感じられる音楽性の持ち主です。そのルーツを大切にする姿勢が現れた音楽は、アトランタヒップホップの歴史を踏まえるとまた魅力的に響くと思います。
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