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トイレには哲学が詰まっている

わたしは比較的?弁が立つ方だと思ってた。気をつけなければ、相手の逃げ道を塞ぎかねないところがあった。そう、全て過去形。世界は広い。塞いだつもりがブルドーザーで正面突破をされ、気がつけばわたしの周りが高いダムに塞がれて居るこの頃。

家のトイレに入って、まず最初にみんなは何をするのだろう?何をするなんて普通考えず、そそくさ用を足してリラックスしてから出るはず。しかし、今日も今日とてトイレのドアを開けた途端、私がまずすることはトイレットペーパーのチェック。イヤ、ペーパーがあるかないかではない。

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今日は2おりあった。ギリギリ許すか許さないかのところで、大声を出すところをグッと我慢した。誰がありがたがって1おり残して貰ったペーパーを使うというのか?問いただすこと過去に数回?数十回。今日も一言言うかどうか、悶々としながらトイレで用を足す。過去の攻防?わたしの悪あがきで、背後に置いてあるペーパーの補充籠から、自分が使う分を切り取り用を足し、フラ夫が残しておいた雀の涙のペーパーはそのままにしてやったこと数回。向こうは新しいペーパーに変え、前の雀の涙がヒラヒラしている芯をそのままトイレの床にポイ捨て。

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今回トイレでふと考える。

何かの調査で、全く喧嘩しない夫婦のパーセンテージが34%と驚きの数字が書かれていた。全くしないって想像すらできない!が、私のまわりそう言えば喧嘩した事無いと言っていた友人数名がいた。「喧嘩することがない。」「喧嘩する体力がもったいない」「喧嘩しても意味がない」それぞれしない理由が違ったけれど。

例えば、このトイレのペーパー問題。彼女たちは、毎回イラッとすることもなく新しいものに変え、なにもなかった?かのように毎回流せるのだろうか。それとも、毎回やんわり注意して旦那さんも素直に聞き入れているのだろうか?わたしは、心が狭いから喧嘩になるのか?

我がフラ夫はそうフランス人、機敏に疎い、空気を読まない(でも、友人の旦那様もフラ夫だけど、喧嘩する事案がないと言っていた…。)。それに、モヤモヤをわたし一人抱えているのは性にあわない。やめておけばいいのに、今日もやはり私はペーパー問題を口にする。そして、間髪入れずに 君だって〜が始まり、気がつくとどっちがちゃんとしてないことが多いかに話が移り、私がやり込められてる感じになる。最後は肩を竦めながら

「oshituke oshituke。」

カタコト日本語で、"落ち着け"と言ってるつもりで、間違えて覚えていて"押し付け"と上から言ってくる。ここでいつものごとく笑ってしまって終わった。(今更、落ち着けだよ!と直してあげようとは思ってません。)

34%のご夫婦を羨ましいと思うけど、これが私達なのだ。溜め込まないで言う!。お互い素直に聞くとは限らないけれど。。。私たち夫婦はぶつかり稽古で強くなっていくのだ。もしかしたら、フラ夫もワザとトイレットペーパーを雀の涙で残して、わたしの鬱憤を発散させようとしてくれているのかもしれない。いや、わたしの文句に常じて、自分のストレスを吐き出すために計算してやってるのかもしれない。実は、フラ夫の行動は奥が深いのだ。