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嵐の中にいました


大変ご無沙汰しております。
りんです。

本当にお久しぶりの更新になってしまいました。
まだ私をフォローしてくださっている方には感謝しかありません。
ありがとうございます。

更新をしない間に、我が家の赤子(次男)は1歳を迎え、よちよち歩くようになりました。

この約8ヶ月間、たくさんのことがありました。

どこから、何から書けばいいのでしょうか?

noteに長らく戻ってくることができず、書き方を忘れそうになっています。

ひとまず、近況報告をさせてください。

まずは目次をどうぞ。


仕事復帰

2024年の3月、次男が9ヶ月になる頃に仕事に復帰しました。

とても大好きだった職場、部署の方にも温かく迎え入れていただき、また楽しく仕事を始めました。

2人目の育休、眠れないこと以外に辛いことは全くなく、赤ちゃんのかわいさを満喫できました。
しかし、やっぱり私は仕事が、心理が好きで、生涯続けていきたいなあと復帰して改めて感じたのでした。

夫が異動になる


私の夫は地方公務員をしています。
一定の年数が経つと、職場を異動することになります。

夫は、当時勤めていた職場にある程度の年数在籍していたため、
もしかすると近々異動(転勤)があるかもしれないと話していました。

異動があったときはどうするか、育休中に夫婦で何度も話し合いました。

結論としては、私が職場を退職して、夫に帯同することに決めました。
理由としては、夫と一緒に長男・次男の子育てをしたかったからです。

しかし、葛藤もありました。

私は、当時の職場で心理職として働くのが好きでした。
ドクター、ナースさん、OTさん、MHSWさん…信頼できるスタッフさんと共にやりがいを持って働いていました。

その職場を離れること、キャリアが途絶えることへの不安はぬぐえませんでしたが、夫に単身赴任してもらい3歳と0歳を見ながら完全ワンオペする自信もありませんでした。

3月の下旬、異動の辞令が出ました。

場所は、県内の離島でした。


夫が新しい勤務地に赴任するのは2024年の4月1日。
辞令が出てから2週間以内に引っ越しをする必要がありました。

引越準備・退職・退園

異動が決まってからは、怒涛の日々でした。

異動の翌日、子どもたちは保育園に預け、夫と家を決めに行きました。
そして、引越業者を決め、家族全体の引越は4月初旬に行うことにしました。
離島の引越は、大手の引越業者はほとんど対応しておらず、ほとんどの業者さんに断られました。
結局、離島専門の業者さんにお願いをすることになりました。

家を決めてから、約1週間後、夫は4/1赴任のため、一足先に島に渡りました。

その間私は、子どもたちを見つつ、荷造りをし、自分の退職準備と子どもたちの退園の手続きをしなければなりませんでした。

さすがに1人では無理だったので、飛行機の距離に住んでいる義母に頼み、引越前後の2週間来てもらうことにしました。
義母が来るまで、1週間ほど完全ワンオペをしていましたが、3歳と0歳のお世話をしながらの引っ越しは本当に大変でした。
様々な方のブログを参考にしながら、子どもたちが寝ている間に荷造りをしました。
土日は、子どもたちを遊びに連れ出し、引っ越し準備は一切できませんでした。

そして、私は3/31付けで職場を退職することになりました。
「もっとここで働きたかったなあ…」と後ろ髪引かれる思いで、退職届を出しました。
部署の方からは「また待っているから!」と笑顔で送り出してもらい、本当にありがたかったです。

急な退職にも関わらずお別れ会まで開いていただき、本当に嬉しかったです。

3/25の月曜日が最終出勤日となりました。

そして、子どもたちも保育園を退園することになります。
在籍は3/31まででしたので、引越日までの数日間は一時保育でお世話になりました。

長男が0歳6か月から通った保育園。

困ったときはいつも保育園の先生方がお話を聞いてくださり、支えてくださいました。
そんな素敵な園を退園しなければいけないことが、予想以上に寂しく、最終登園の日は親の私が涙目になっていました。
(今もこれを書きながら泣きそうになっています)

へき地へ引っ越し

4月の最初の土日に、島へ引っ越しました。
3月~4月は引っ越しのハイシーズンのため、引越時間の指定はできませんでした。
子連れ引っ越しは本当に大変でした…
もし気力があれば(←)、後日書いてみたいと思います。

引っ越し後、義母が帰ってからは、2週間ほど完全自宅保育期間でした。(無職のため)
元気すぎる男児2人を見ながら、夜に荷解き。
本当にしんどかったです…
保育園のありがたみを実感した2週間でした。

保活と求職活動

何をするにも、まずは子どもたちの預け先を見つけなければ始まらない!
そう思っていた私は、前職場から離職票が届いたらすぐにハローワークへ行きました。
ハローワークで受付書を発行してもらうと、保育園への申込ができます。
兄弟2人で通える保育園を探していただき、何とか入園することができました。

このときの保育園の利用区分は“求職活動中”

この求職活動中の期間は、最大で3か月保育をお願いできます。

言い方を変えると、3か月の間に仕事を決めないと退園になってしまう、ということです。

私の性格上、かなり焦っていました。

3か月で仕事を決めないと!子どもがいつ熱出すかわからない!早めに仕事決めたい!

そんな思いに駆り立てられ、ずっとハローワークの求人を見ていました。

転職

私は、心理の仕事が大好きです。
もちろん、引っ越し先でも心理の仕事をしたいなという思いを持っていました。

しかし、島には心理の仕事がありませんでした。

正確に言うと、

求職期間中に、保育園に預けられる基準を満たす心理の仕事を見つけることができませんでした。

そのため、まずは保育園に預けないと…という思いがあり、心理職に就くのを一旦諦め、ほかの職種で仕事を探すことに決めました。

そして希望の求人を見つけ、応募し、採用していただきました。

そして6月から新しい仕事を始めました。

初めての仕事で、覚えることの量も膨大でした。

仕事から帰ったら家事と育児。
そしてこのころは次男も一晩で4~5回ほど夜泣きしており、ほぼ徹夜で仕事に行くこともありました。

もう、限界が来ていたのに、その時は見て見ぬふりをしていました。

そうしないと日々が回らなかったからです。

休職

仕事は週4勤務で、週に1日平日の休みがあります。

7月最初の平日休み。
いつものように、溜まった家事をし、食材の買い出しをし、1週間分の食事の作り置きをしました。
途中、「疲れたな…」と思い、少しだけ昼寝をすることにしました。

昼寝から目覚めると、あまりにも身体が重たくて、しばらく起き上がることができませんでした。

また、たまたま私はこの日にカウンセリングの予約を入れていました。

重たい身体を何とか起こし、カウンセリングを受けることができましたが、カウンセリング中は常に涙を流していて、「ああ、これはもう限界なのかもしれない」と、ここまで来て気づいたのでした。

翌日、上司との面談があったので、現状を説明しました。説明しながらも常に涙を流している状態で、そのまま休職をすることになりました。

休職して間もないころは、常に寝たきりでした。
保育園のお便りも読むことができず(文字は読めるが内容が頭に入らない)、そんな自分のふがいなさに涙を流していました。


倒れた週の次の月曜に、飛行機の距離に住んでいる義母が駆けつけてくれ、2週間滞在して家のことをこなしてくれました。本当に救われました。

退職

休職して約1か月。

夫や主治医の先生とも相談し、今の仕事を退職することに決めました。

そして、先日退職届を提出してきました。



約半年の間、これだけの出来事が駆け巡っていきました。

自分としては、何とかそれぞれの状況を乗り切ってきたつもりでいましたが、慢性的な寝不足と急激な環境の変化が重なって、心と身体はすでに限界を超えていました。

これからは、もう少しゆっくり、家事と育児のバランスを考えつつ、自分のやりたい心理のお仕事をやっていけたらいいなと思っています。


やっとnoteもここまで書けるようになりました。



やっと大きな嵐が去り、雲の合間から光が差しています。

雨で濡れた洋服を乾かしつつ、光の差すほうへ焦らず歩いていくことができたらと思っています。




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