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まわりの変化にアセりだす。〜私が公認会計士になるまで#3〜

こんにちは。公認会計士の大塚としひでです。

公認会計士人生をつづった履歴書、第3回目となります。

前回までのお話しはこちら。


ちゃぶ台みこしに居酒屋エレベーター、思い出せばなつかしい話です(笑)。

そんなやんちゃな経験?も今では笑い話。

さてさて、続きのお話し。

サボりはじめる

最初は頑張って経理研究所という会計士養成講座に通っていた私ですが、簿記1級講座あたりから少しずつサボり始めました。

結局簿記1級の試験は受けたけど、合格には程遠い結果に。

(その後、1級に合格するのは会計士試験に合格する1年前の2003年になります…)

そしてそのまま公認会計士講座に進みますが、

徐々にまわりの講座生たちとの実力差が目に見えてくるようになり、焦り始めました。

そりゃ、毎日夜遅くまで勉強している他の講座生と、サボって酒飲んだりバイトしている私が同じ実力なわけないですよね。

ただ、私は解けない問題をまわりの人たちが解き、私には理解できない質問をしたり、講師から褒められたりしているのを見ているうちに、だんだん自分は能力がないダメな人だと思い込み始めました。

勉強量が少ないことこそが差をつけられている原因なのに(笑)、自分は頭が悪いからダメなのだと、他人にも自分にも言い訳をするようになりました。

そして、次第に公認会計士講座に参加するのが苦痛になってきました。

それでも、高額の講座費用を両親に負担してもらった手前、講座に参加しなければならぬと思い、乗らない気持ちを振り絞って参加していました。

ただ、イヤイヤ続けてもやはり続きません。

勉強のペースには置いていかれ、答練(答案練習会と呼ばれる問題演習会)には行かなくなり、やがて講座にも参加しなくなりました。

ただふと周りを見渡すと、私のような人はたくさんいました。

当初は300人いた講座受講生が、最後は40〜50人程度にまで減っていました。

そういう意味では、けっこう粘り強く頑張っていた方かもしれません。

みんなも一緒じゃん!と、また勉強しない言い訳をする理由を見つけてしまってました(笑)。

当たり前ですが資格試験は、合格か不合格かでその先の道は大きく変化します。結果がすべてと言っても過言ではない世界。

何人の枠に残ったとか、合格には関係ありません。

難関試験といわれるのは、大変で苦しい(かもしれない?)勉強を続けなければ合格できないからこそ。

多くの人がクリアできないからこそ難関なのですよね。

周りで脱落していく人とつながり感を感じて、ほっとしている場合ではなかったのですが、当時の私は、そんな現実から逃げていました。

初受験

初めて会計士試験を受けたのは大学3年生の時。

申し込みはしたものの、到底合格できる実力レベルではありませんでした。

その時受験した、短答式試験という択一試験では、問題があまりにもわからなすぎてリアルに鉛筆を転がして回答していました(涙)。

余談ですが、このころの生活をぼんやりと思い出してみると、河合塾という大学受験予備校の営業部門で、模擬試験の受付や試験監督をしたり、営業担当者の事務作業のお手伝いなどをしていました。

他の大学の人もたくさんいて、バイトの帰り道に日払いのバイト代を使って飲みに行ったり、好きな女の子ができてデートしたりと、おおよそ受験生とは思えない楽しい大学生活だったと思います。

それはそれで楽しくていい経験でした。

そんなこんなで、無事に?1回目の試験で不合格となった私は、長い長い会計士受験ロードを歩み始めたのでした。


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