「超わかりやすい起業とお金 カイケイシタイヨウ」 第2話 経理のキホン編
1.回想
新緑の季節になった。
僕は、この季節が一番好きだ。
空、樹木草花、
そして人が1年で一番活力が
あるように感じるからだ。
気持ちのいい風、
新緑のにおい、
過ごしやすい気候。
桜の季節と同様、ほんのわずかな
期間に感じるので、
なるべく外出して澄んだ空気を楽しむ。
前回タイヨウと会ってから
約7ヶ月が経過していた。
僕は早めに着き、
品川の前回と同じカフェに入る。
ゆったりと座りながら、
ほんの数ヶ月前を懐かしんだ。
当時の自分はあの席に座っていたな。
今、あの時の自分に声をかけるなら、
なんと声をかけるだろう。
そんなことを考えながら、
この7ヶ月間を思い返していた。
本当にいろんなことがあった。
タイヨウの言った通り、
退職はそんなに簡単には
進まなかった。
今は人がどんどん辞めて、
キャリアアップに
チャレンジする時代。
されど、会社にマッチする人材を
簡単に採用できるかというと、
決してそうではないのだろう。
上司からも、人事部からも、
幸か不幸か、引き留めにあった。
それでも想いを伝え続け、
ようやく納得してもらうまでに
約1ヶ月を要した。
そこから、仕事の引き継ぎ。
自分が担当だった仕事の”キリ”が
いいタイミングを見計らっていたら、
結局退職までに4ヶ月が経過していた。
それでも、時間をかけて良かった。
最初は渋っていた上司も、
最終的には応援してくれるような形で
円満に退職することができた。
その証拠に、上司から
先日まで関わっていた仕事を、
しばらく外注で手伝って欲しいと
言われたのだ。
正直、
退職までの期間に営業活動をする時間が
ほぼ無かったので、生活的に助かる。
当面の生活を考えホッとしたところだった。
もちろん、
いつまでも前の会社にお世話に
なり続けるわけにはいかないけど、
はじめて味わう仕事のありがたさ。
サラリーマンの時は仕事があるのが
当たり前だったから。
同時に、
独立したんだなというワクワク感や、
不安感が溢れ、
言いようのない緊張感を味わっていた。
タイヨウから教えてもらった話を参考に、
開業のための手続きを
ひとつひとつ進めていった。
銀行口座を作りに行ったら、
この口座は何に使うのかとか、
いろいろ聞かれた。
昔はもっとすんなり口座を作れたのになぁ、
なんて不思議に思い、
「どうしてそんなこと聞くのですか?」
と、窓口で聞いてみた。
窓口のお姉さんは、あぁその質問か、
と慣れたような作り笑顔で答えてくれた。
どうやら、
休眠口座をマネーロンダリングに使われる
こともあるらしく、
今は自主規制が厳しいそうだ。
気軽に口座が作りにくい時代なのか。
時代の変化とどことない寂しさを感じた。
健康保険は、
会社の任意継続保険に加入する
ことにした。
ただし期間は2年間だけとのこと。
そのあとは国民健康保険に加入が必要。
会社を立ち上げればまた別だが、
それは少しまだ先のステージの話だな
と感じた。
そして、最も頭を悩ませたのは、
タイヨウに最後に言われた、
「あり方」の話だった。
どんな自分で、どう生きていきたいか。
本を何冊か読んで、
頭ではなんとなくわかった気がする。
しかし、
どう自分にあてはめ、
行動に移せばいいかわからなかった。
これは1人ではダメだと思い、
人に頼ろうと思った。
あきらめが早いのは、
こんな時は長所に感じる。
その頃、
ちょうど同じく起業を考えていた友人が
勧めてくれた起業塾が1DAYセミナーを
やっていたので参加してみた。
いわゆるフロントセミナーに参加したのだが、
すっかりと感化された僕は本講座に申し込み、
起業塾に通い始めた。
数十万する金額は決して安くは無かったし、
もし講師やその講座自体に合わなかったら
どうしようとドキドキしたが、
いざ支払うと腹が決まった。
意気揚々と鼻息荒く参加し始めた。
通い始めた講座の中で初めて聞く、
「セルフイメージ」
とか
「マインドセット」
という言葉。
起業して成功するには、
マインドが8割と言われるらしい。
最初は意味がわからなかったけど、
聞いているうちになるほどな、
と知識がつながり、腹に落ちていく。
起業塾の講座中に、ワークに
取り組み、思い浮かぶ言葉を
繋げてみた。
「私、大谷は、
Web制作を通してチャレンジする人を
応援し、人々に笑顔と勇気を届ける、
愛情あふれる人だ。」
こんなセルフイメージが湧いた。
なんだかワクワクする。
そして、それを具体化するために、
まずは士業専門でやってみようか、
なんて戦略を練っている最中だった。
前職でたまたま士業のWeb制作をする
機会に恵まれたのがきっかけだ。
もちろんこれからもっとリサーチする
必要はあるけど、
士業のお手伝いをすることで、
士業の方やその先にいるチャレンジする人
を応援することにつながるのではないか、
と考えたのだ。
そのあたりは主目的ではないけど、
もしかすると今後タイヨウに
意見をもらえるかもしれない。
そして、もう一つ。
今日はとても大切なお願いをするために
ここにきたのだ。
そんな回想にふけっているうちに、
タイヨウが現れた。
2.再会
「おお!久しぶり!!」
タイヨウは満面の笑顔で、元気に声を
かけてきた。
相変わらずのナイススタイルに、
少し日焼けした感じが、
また爽やかさを引き立てている。
ゴルフ焼けだろうか。
僕は立ち上がり、
「タイヨウさん、お久しぶりです!」
と軽くお辞儀しながら笑顔で答えた。
タイヨウは笑顔で「オウ!」と言って
荷物をポンと向かいの席に置くと、
コーヒーを買いにカウンターへ行った。
ほどなくしてコーヒーを受け取った
タイヨウが戻ってきた。
「早いですね!
モバイルオーダーですか?」
「うん、そう!
今は便利だよね。
コーヒー買うのに並ばなくていいって。
それになんとなく優越感あるじゃない?」
ははは、と相変わらず陽気に笑いながら
タイヨウはゆっくり椅子にすわり、
おいしそうにコーヒーを啜った。
少し雑談をしたあとで、
あらたまって僕はこう切り出した。
「タイヨウさん、
今日はありがとうございます。
前回お会いしてから、
もう半年以上前になりますね。
あの時タイヨウさんにお会いして、
教えてもらったことをいろいろ
やってみました。」
そう言うと、タイヨウは嬉しそうに
こう答えた。
「そうか、行動したんだね。
それはなにより。俺のアドバイスを
実践してくれて嬉しいなぁ。
よかったらこの期間に
どんなことがあったか聞かせてよ。
えーと、まず、
もう会社は辞めたの?」
「はい、会社は辞めました。
実は、」
僕はそう言い始めると、
さきほど回想していたことを
思い出すように、これまでの
7ヶ月のことをタイヨウに話した。
タイヨウは真剣な眼差しで聞いてくれた。
うんうん、そうか、それは大変だったね、
へー、うわー、すごい、よかったね、
など、逐一話に反応してくれる。
本当に聞き上手だ。
昔から聞き上手だと思ったけど、
ここまでだったかな。
とにかく、とても気分がいい。
僕はついつい熱が入り、
気がついたら30分近く話していた。
兄のような眼差しで聞いてくれて
いたタイヨウが口を開いた。
「本当に、劇的な7ヶ月だったんだね。
お疲れ様。
あらためて今どんな気分なの?」
一息つく僕に、タイヨウは、
これまでの話をまとめるような
質問をしてきた。
「気分ですか?
そうですね、
なんだかんだいろいろ大変でしたけど、
なんかこう、生きているって感じが
します。
もちろん不安もありますけど、
やろうと思ったことに取り組めている
喜び、というか、今はそんなたくさんの
感情を味わっている感じですね。」
「うんうん、そうかそうか。
やってみてよかったね。
一歩踏み出して行動することが、
新たな可能性をもたらすんだ。
あらためてその勇気に賞賛を送るよ。
おめでとう!」
「いえ、そんな、あの、
ありがとうございます。
タイヨウさんのおかげです!」
タイヨウに褒められると
気持ちがいい。
ついつい舞い上がってしまう。
「ところで最近は忙しいのかい?」
「いや、まだそこまででは。
どっちかというと、暇な感じです。
これからもっと営業を頑張らなければ
ならないところです。
前に勤めていた会社の案件が
あるくらいで、時間的には
だいぶ余裕があります。」
「ふーん、そうか。
まあ、最初はそうだよね。」
そう言うと、タイヨウはコーヒーに
手をかけて一息ついた。
そんな話をしながら、
僕はタイミングを見計らっていた。
今日は「アレ」をお願いするんだ。
少し間が空いたタイミングを
見逃さず、よし未だ!と
僕は急に緊張気味に切り出した。
「あ、あの、タイヨウさん!」
僕の声が緊張気味に急にうわずる。
「お?どうしたの、
急にそんなあらたまって。」
「は、はい。あの。
実は今日は、大事なお願いがあって
きました。
タイヨウさん!
僕の顧問税理士を
お願いできないでしょうか!」
一瞬、タイヨウが目を見開き
微笑んだように映った。
そのあと、少し考えるように
下を向いて沈黙してしまった。
僕はドキドキしながら返事を待つ間、
時が止まったように感じた。
やがてタイヨウは顔を上げ、笑顔で
こう言った。
「やだ。」
へ!?
え?え?
「・・・や、や、やだ?」
「ははは、
あー、ごめんごめん。
やだっていう返事の仕方はないよね。
えっとね、ごめん、
その依頼はお受けできない。」
僕は一瞬何を言われたのか
理解できなかった。
えーーーーーー。
ダメなのかーーーい・・・。
ショックで言葉を失った・・・。
3.断る理由
「えっとね、もう一回結論を言うと、
顧問税理士はお受けできない。」
タイヨウにそう言われれてしまうと、
ズシーンとした喪失感が
胸の奥に襲ってきた。
「あ、あの、どうしてでしょうか?
タイヨウさんは僕を応援してくれているし、
僕にとっても顧問税理士をお願いするなら
タイヨウさんしか考えられなくて。
理由を教えていただけませんか?」
僕は勇気を振り絞って聞いてみた。
湧き上がる悲しみと少し怒りが
入り混じってきて、
モヤモヤしていた。
そんな感情を抑えつつ、
声を振り絞って聞いた。
するとタイヨウはこう答えた。
「うん、大谷の気持ちはうれしい。
ありがとう。
オレは、確かに税理士なんだけど、
個人事業主さんの顧問はやらないと
決めているんだ。
自分で決めた仕事の方針だからね。
それが理由。
確かに大谷を応援したい気持ちは
あるから少し迷ったんだんけどさ、
やはり自分で決めた仕事の方針は
曲げられないからね。
一度例外を作ると、ルールは崩壊
してしまうから。」
「そうだったんですか。
すいません、そうとは知らず・・・。
ダメですか・・・。」
ものわかりの良さそうな返事しつつ、
諦められず、ごねたい僕がいた。
「いや、いいんだよ。
まだ再会してから会うの3回目だし、
そんなこと伝える時間なかったしね。
こっちこそ、ごめんね。
ところでさ、
どうして今顧問税理士をつけようと
思ったのかな?」
「え?
てっきり、起業したら税理士さんに
お世話になるのは当然だと思って
しまっていたのですが。」
「なるほど、
確かにそのほうが効率的だもんね。
経営者は経営に集中すべし、
という考え方もあるから、
人に任せられるものはさっさと手放せ、
なんて言われたりするよね。
僕もその意見には賛成だよ。
お金にある程度余裕があるなら、
最初からプロに任せてしまった
ほうが、時間を最大限自分の使いたい
ことに使えるからね。」
僕はドキッとした。
ちょうど、起業仲間から
そんな話を聞いて焦り、
タイヨウに顧問税理士を依頼した
と言っても過言ではなかったのだ。
僕は正直にこう話した。
「そうですよね。
実は、起業塾の仲間から
同じことを言われました。
それで、早めに信頼できる方に
お願いしようと思ったんです。
真っ先にタイヨウさんの顔が
浮かびました。」
「それは光栄だね、ありがとう。
顧問税理士をどうしても頼みたい
と言うのなら、オレが信頼できる
仲間の税理士を紹介するよ。」
そう笑顔でやさしく答えたあと、
少し熱を帯びた表情でタイヨウは
こう続けた。
「ただね、ふと思ったんだよね。
大谷は今、数字のことを学ぶ
チャンスなんじゃないかって。
起業してまだ少し時間的余裕ある
でしょ?
物販や製造業のように、
取引がたくさんあったり、
原価計算をしたりするような
煩雑かつ複雑なビジネスでもない
から、少し学べば自分でもできる
んじゃないかな。
少し時間の取れるこのタイミングで、
経理や会計のことを学んでみたら?
経営者は、遅かれ早かれ、
必ず会計を読む能力が必要になる。
だとすると、
少し遠回りになるかもしれないけど、
自分で一度経理をやってみるのもいい
かもと思うんだ。
長い目で見ると、貴重な時間になる
んじゃないかな。
目的は、お金の流れや自分のビジネスが
どう数字に表現されていくかを学ぶこと。
決して経理をできるようになれと
言っているわけではないよ。
もちろん向き不向きはあるから、
絶対やりたくないなら勧めないよ。
いずれは作業を手放して、
経理代行サービスなんかに依頼しても
いいと思う。
どうかな?
よかったらオレがこれから
教えるよ。」
タイヨウが珍しく熱弁をふるった。
僕は話を聞いててウッとなった。
この気持ちはなんだろう?
経営者はいつか会計の読む能力が
必要になる、という言葉が刺さる。
でも・・・。
うう、即答できない・・・。
「少し考えてもいいですか?」
とりあえずそう答えた後、
少し沈黙して、僕は自分と対話する。
経理はよくわからないから、
取り組みたくないのかなという不安。
経営者がやる仕事ではないのでは?
という漠然とした疑問。
一方で、
タイヨウの話も一理あるから、
やってみようかなという意欲的で、
前向きな気持ち。
どうやら、
その感情が葛藤しているようだ。
そのときにふと思い出した。
そういや起業塾で言われたっけ。
「ウッ」
となった時は成長のチャンス!
って。
ええい、、、
だとしたら、答えは一つだ。
目の前でじっと僕を見ているタイヨウに、
こう返答した。
「わかりました。
タイヨウさんがそこまでおっしゃるなら、
やってみます。」
はぁ、言ってしまった・・・。
僕にできるんだろうか。
でも、今、やるって言ってしまったし、
やるしかない。
「おお、すばらしいね。
そうやって、自分ときちんと対話も
したうえで、この場ですぐに
決めることができる大谷は、
決断力があるね。
きっとすばらしい経営者になるよ。」
そう言うと、
タイヨウは一気にコーヒー
を飲み干して、すくっと立ち上がった。
あれ?
立った??
トイレかな???
「まじめな話は
眠くなるから、酒でも飲みながら
話そうよ。
近くに知り合いが店長している居酒屋
があるから。
あ、まだ時間は大丈夫かな?」
タイヨウは丁寧に予定を聞いてくれた。
もちろん大丈夫だ。
タイヨウと会うために他の予定は入れてない。
「あ、はい、あの、
もちろん大丈夫です、
ありがとうございます!
行きましょう。」
そういや、
昔もたまに練習の後、
タイヨウから昼飯行こう!
と誘われ、断る間もなく
無理やりラーメン屋に
連れて行かれたことあったっけ。
そこでサッカーの話をしたり、
恋愛相談したり、楽しかったなぁ。
そんな昔懐かしい場面が
フラッシュバックしてくる余韻に浸っていると、
スタスタ歩くタイヨウに置いていかれ
そうになっていた。
僕は急いで荷物を片付け、
コーヒーを飲み干し、
あわただしく席を立った。
4.居酒屋講義のはじまり
カフェから徒歩2、3分くらい歩いた
ビルの地下にその居酒屋はあった。
お店は程よく混んでいる。
小洒落た感じではないけど、
ほどよい広さの店内。
清掃が行き届いており、
清潔で好感の持てる明るい感じだった。
すっと入りたくなるような温かい雰囲気。
店内はすでにお客さんで賑わっていた。
「いらっしゃいませ!
お、タイヨウじゃん。久しぶり!」
店に入ると元気な声が響いてきた。
「おー、だいちゃん!久しぶり。
2人なんだけど入れるかな?」
もちろん、
と言うと、ちょうど空いていた
簡単な囲いのある、
話しやすそうな向かい合わせの席に
通してくれた。
「だいちゃん、ありがとう!
あ、こちらは高校時代の部活の
後輩で大谷って言うんだ。」
とタイヨウが僕を紹介すると、
「ご来店ありがとうございます!
この店の店長をしています田口です。
だいちゃんって呼んでください!」
と、だいちゃんは元気に笑顔で
挨拶してくれた。
「あ、はじめまして、
よろしくお願いします!」
店長につられ、
僕もテンション高めに答える。
店長の胸には、
洒落た絵文字のプレート。
「店長だいちゃん」
って書いてある。
「だいちゃんとは、
とあるセミナーで知り合ってね。
かれこれもう3年になるかなぁ。
あ、だいちゃん、生ビール2つね!」
タイヨウがそういうと、
はいよ!
と、だいちゃんは笑顔で答え、
素早く奥に戻って行った。
程なくしてビールとお通しが運ばれる。
キンキンに冷えたビールグラスに、
バランスのいい泡。
これはうまそうだ。
「じゃあ、大谷の起業と、再会を祝して
乾杯!」
タイヨウはそう言うと、
冷えたジョッキをカチンと重ねて、
乾杯した。
「ああー、うまい!」
僕はそういうタイヨウを見ながら、
一緒にビールをゴクゴクと喉の奥に
流し込んだ。
途端にアルコールが体をめぐり始める
のがわかる。
やばい、話を聞くのに忘れそう。
メモを取れるかな・・・。
あ!そうだ。
「タイヨウさん、あの、これから聞く
お話し、録音してもいいですか?」
「おお、そうだね、いいよ。
メモ取るの大変だろうし。
全然構わないよ。」
▼
僕はほっとしつつ、
飲みながら聞いていいのかなという、
罪悪感がちょびっと芽生え始めていた。
するとそれを察したのか、
タイヨウはこう言った。
「そもそも、
経理とかまじめで堅そうな話を、
会議室のようなさらにお堅い雰囲気
な中で話すと、人はだいたいイヤに
なる。
もちろん、
仕事をする時はそういう場面は
必要だけどね。
今日これからする話は、
酒でも飲みながら雑談風に
リラックスしながら話したほうが、
楽しいんじゃないかと思ってね。」
なるほど。確かに、
まじめで堅い話を聞く前は、
なんとなく気分が暗くなる。
「なるほど、そうですね。
あの、リラックスしながら聞いちゃっても
いいんですか?」
「いいよ。
リラックスしながらやったほうが、
取り組みやすいでしょ?」
「おおお、
そこまで考えてるんですか。
タイヨウさんすごいですね!」
「ん、いや、
今思いついたから言ってみた!」
ワハハハ、とタイヨウは笑った。
僕はガクッと、椅子から一瞬
転げ落ちそうになった。
タイヨウは、店員さんに
料理を注文し終えた後、
笑顔で僕にこう話し始めた。
「ではでは、
ぼちぼち話をはじめよう!」
僕は、あわててスマホ取り出して
録音機能を開き、
ポチッと録音しはじめた。
「まず、現状を聞きたいな。
大谷は経理は今どうしているの?」
長いようで短い時間の
始まりであった。
5.どんぶり勘定
「まず、現状を聞きたいんだけど。
大谷は経理は今どうしているの?」
タイヨウが質問してきた。
「あ、はい。
まだ独立してから3ヶ月程度でして、
ほぼ何もしていないのが実情です。
一応、おすすめいただいたクラウド
会計ソフトを契約して、初期設定まで
はしました。
開始残高とかはまだ設定してません。」
「なるほど。
まあ、まだ取引も経費それほど発生して
いないだろうからいいけど。
そのままずるずる決算まで放置するのは
あまり勧められないね。」
タイヨウの表情が少し研ぎ澄まされた
表情に変化した気がした。
「ちなみに、
運転資金はどれくらいあるの?」
「はい、
貯蓄と退職金で合わせて500万円
くらいあります。
それが全財産です。」
「そうか。
そうしたら、もし収入がないとしたら、
何ヶ月生活できる?」
「え、・・・。
どんなもんだろうか。
いやぁ、すいません、
ちょっとわからないです。
おそらく、半年くらいはなんとかなるかと
は思うのですが・・・。」
「うん。
気がついたらお金がなくなっていて、
生活すらままならない、なんてことが
あってはいけないよね。
せっかく独立したのに、
アルバイトしたり、
また会社員に逆戻りなんてことはめずらしい
話ではない。
もちろん、それがダメだと言っているわけ
ではないよ。
ただ、独立して自分でビジネスを
やっていこうと決めたのなら、それを維持
するための資金がないとね。
気持ちだけではやっていけない。
資金繰りや自分の経営状態を定期的に
把握できる状況を整えておくことは大切
だよ。」
確かにその通りだ。
背筋が伸びる。
今日は酔えそうもないかも・・・。
タイヨウは話を続けた。
「そこで役立つのが経理なんだ。
状況にもよるけど、
もし、1年間何も経理処理しないまま、
もっとひどいケースだと、
銀行残高すらろくに見ないまま過ごして
しまったらどうなると思う?」
「うーん、ビジネスがうまく回っていれば
とりあえず資金が底をつくことはないと
思いますが。
もし仮にうまくいかず、費用ばかりが先行
するとなると、・・・。ある時、資金が
足りず生活にも影響してしまう、みたいな
ことも起きかねないですね。」
「うん。そうだね。
それは避けたいよね。
特に家族がいたりすると影響がでかい。」
そういうと、タイヨウは少し俯いて
しまった。
何か暗い過去でもあったのだろうか。
僕は僕で、最悪な妄想を膨らませて、
少し凹んだ。
喉が渇いて口をつけたビールの味が
しなくなってしまった。
すると、またタイヨウが話し始めた。
「もし定期的に経理処理をしていれば、
自分のビジネスの損益状況がタイムリーに
わかるし、資金の状況もわかる。
現状がわかれば、未来を予測することも
できるよね。
例えば3ヶ月先くらいまでは、
大きな支払いもないから資金は大丈夫
とか、
大きな自己投資しても来月には収入が
あるから大丈夫、とか。」
「確かにそうですね。
今はまだ起業したばかりなので大丈夫
かな、なんて悠長に構えてました。
そういや、自分の銀行口座残高すら
確認してませんでした。」
ふと思い出すと、
今の銀行残高いくらだろうと思い
銀行のアプリを開いてみて唖然とした。
なんと、残高は300万円まで減っていた。
うう、
いったい、何に200万円も使ったの
だろう・・・。
もしこのまま行っていったら数ヶ月後
どうなっていたのだろうと思うと、
背中がヒヤリとする。
タイヨウは、少しニコッとして
こう続けた。
「そういう状況をどんぶり勘定というね。
どんぶり勘定の状態からは、さっさと
おさらばしたほうがいい。」
タイヨウはそう言うと、
ビールを一気に飲み干し、
おかわりを注文した。
6.習慣化がどんぶり勘定を制する
「まずおすすめなのは、定期的に
経理処理をする習慣をつけること。
さすがに毎日はしんどいと思うけど、
最低でも月に1回はやった方がいい。
どんなに空いても2ヶ月以内かな。」
「月に1回ですか、
わかりました。それならなんとか
できそうです。」
「うん。
比べるもんではないのだけど、
優良だと言われる会社のほとんどは、
月に1回の月次決算をやっているよ。
現状把握することで次の改善に
つながるからね。
改善のためのツールだね。」
そう言われると、
僕は会社員時代を思い出した。
「確かに、以前働いていた会社は、
毎月3営業日までに経費申請を完了
するようにと言われていたのを
思い出しました。
そっかぁ。
月次決算してたのか。
忙しい時期に短期間でやれと言われ
めんどうくさいなとか思ってましたよ、
当時は。
今度はそれを自分でやるんですね。」
ついつい本音がポロッと出てしまった。
酒の力はあなどれない。
「ははは、めんどうくさいか。
まあそうだよね、ルールに従う側から
すれば、なぜそれが必要なのか知らないと
そんな意見も出てくるよね。
ただ、
その作業が未来の改善につながる
大切な作業だから、ぜひやってみてね。」
そう言うと、
タイヨウはまたビールを飲んだ。
「そして、もう少しアドバイス的なこと
を言うと、
作業の期限は7日までとか、
5営業日以内にやると決めてしまった
ほうが楽だよ。
そういう作業は感情を挟まず、
機械的に仕組化したほうが意外と捗る。」
「確かに、一旦理解したら、その後は
機械的にいつまでにと言われたら、
そこまでにやりますね。」
僕は会社員時代の交通費精算などを
思い出していた。
「そう。そして一度決めて、
行動を重ねていくことで、
習慣化するよね。
そうやって、
機械的にやる仕組を作ってしまうのが
ポイントだよ。」
「なるほど。
そうですね、どうせやるなら機械的に
毎月一定の日までにやるよう、決めて
しまうようにします。
ありがとうございます!」
そうこう話しているうちに、
笑顔がとても素敵なお姉さんが
タイヨウに2杯目のビールを運んできた。
タイヨウともなじみなのか、一言二言
会話を交わしている。
この店の店員さんは、総じて感じがいい
なぁ、なんてその様子を横目に見ながら、
僕はビールを喉の奥に流し込んだ。
うん、さっきよりはビールの味がする。
「ところでさ、開業準備のお金は
かかったのかな?
以前に開業費のお話しをしたの、
覚えているかい?」
お姉さんとの会話は終わり、
背中を向けていたタイヨウは
僕の方に向き直って、
また僕に問いかけてきた。
「はい覚えています。
開業のために必要な経費で、
開業前に支出した費用ですよね。
えーと、たしか・・・、
名刺購入、プリンター購入費、
紙とかインク、あとはパソコン購入
あたりかなと。」
「なるほど。
領収書はもらってあるかい?」
「はい!
あります。」
「では開業費で計上するといい。
個人事業主は、開業費の範囲が
法人と比べると広いからね。
開業費は「繰延資産」と言われて、
一旦資産計上されるけど、
好きなタイミングで費用計上する
ことができるんだ。
ただ注意点だけど、固定資産に
なるものは別だよ。
さっきの話で言うと、プリンター
とパソコンが気になったんだけど、
それぞれいくらで買ったのかな?」
「プリンターは、8万円、
パソコンは18万円しました。
いずれも税込です。」
「なるほど。
じゃあ、プリンターは10万円未満
なので開業費に入れてしまっていい。
一方で、パソコンは10万以上だから、
固定資産として計上が必要になるよ。」
「そうなんですね、
ありがとうございます。
そうします。
ちなみに、
開業費の費用化の時期は、
いつまでに決めればいいんですか?」
「決算処理するまでで大丈夫。
例えば利益が出ていれば償却、
あ、費用化することを償却と言うん
だけどね、
そのタイミングで償却するかの判断
をして大丈夫だよ。
まあ、会計士としてはあまりそういう
利益操作的な言い方をするのは、
よくないとは思うけどね。
お!、きたきた。」
お待ち!
と目の前に幾つか料理が運ばれてきた。
海鮮サラダ、ニラレバ、唐揚げ、
麻婆豆腐。
どれもボリュームがあり美味しそうだ。
タイヨウと僕は、
料理に箸を伸ばし、
ビールと一緒にその味を堪能した。
7.交際費はどこまでOK?
「ところでタイヨウさん。
今日のような飲み代は、経費で
落としてもいいんですか?
交際費ってやつですよね。」
「お!そうか。
今日はご馳走してくれるんだね。」
少し悪そうな顔をして、
タイヨウがニヤッとしながら言った。
本気なのか冗談なのか・・・。
いろいろ教えてもらっているから
ご馳走するのはいいんだけど、
答えにくいなぁと薄ら笑いを浮かべて
返答に困っていると、タイヨウは、
「ははは、ごめんごめん。
冗談だよ。」
と笑いながら続けた。
「いい質問だね。
個人事業主は、
交際費にできるか否かの
判断のポイントは、
ビジネスに必要な経費だと
第三者に説明できるかどうかだね。
もし税務署の調査が入った時に、
その費用は自分の仕事に関連した
必要な経費で、もし仕事をして
いなければ払っていないものだ
と言えるかどうか。
今日みたいな飲み代を経費にするのは、
正直ちょっと厳しいかもしれないね。
法人なら、
もう少し経費にしやすいのだけど。
まあ、俺なら、今日のこの時間は、
しっかり売上を上げていくために
必要な学びをした対価だと説明して、
必要経費だから交際費にするかもね。
それが認められるかはわからないけど。」
タイヨウはそう言うと、
一口ビールを含んだ後に続けた。
「交際費が認められるか否かは最終的に、
税務調査が来た時に確定するから、
絶対大丈夫という保証はできないんだ。」
税務調査。
なんとなく嫌な響きだ。
昔、マルサの女という映画があった。
ザ・昭和の映画だが、
そのイメージが強い。
「そうなんですね・・・。
ありがとうございます。
あの、
その税務調査って毎年くるんですか?」
僕は緊張気味に聞いた。
「そもそも個人事業主に税務調査が
入る可能性は低いようだよ。
個人事業主に税務調査がくる割合は、
1〜2%とも言われているらしい。
だから毎年とかは考えにくい。」
よかった。
少し気持ちが緩む。
「そうなんですね。
それを聞いて少しホッとしました。
だからといって、可能性が0ではない
から、きちんとしておいたほうがいい
ということですね。」
「すばらしい。
そのとおり。
確定申告をしても、何年後かに
税務調査が来て、その結果によっては
修正申告する可能性があるんだという
ことだよ。」
「そうなんですね、
てっきり、確定申告したら
税務署が勝手に申告書を間違いないか
どうか確認してくれているのだと
思ってました。
考えてみればそうですよね、
たくさん提出される書類を短期間で
瞬時に正しいかどうかなんて判断
できないですよね。
いやぁ、なるほどです。」
タイヨウは満足そうに頷きながら、
うまそうにニラレバをつまんでいる。
僕は続けた。
「あと、
もう一つ教えてください。
よく、独立起業している方は、
どんな飲み会でも領収書もらう
じゃないですか?
てっきり、
なんでも交際費に計上しても
OKなんだと思ってましたが、
それは違うということですか?」
「うん、そうだね。
それは違うよ。
確かに、
個人事業の場合はなんでも
交際費にできると思っている人も
いるようだけど、残念ながら
そうではない。
実は法人の場合よりも、個人事業
のほうが交際費の範囲は狭い。
個人事業主によっては家族で行った
レストラン代金や、
事業に直接関係のない近所の友人との
飲食代まで経費にしている人もいる
ようだけど、そういうのは税務調査
で見つかると否認されるケースがある
ようだよ。
もちろんここの事情をしらないから
はっきりとは言えないけど、
見つかってないのは、ただ単に
税務調査が来ていないだけ、という
ことなんじゃないかな。
だから事業に関連すると説明がつかない
ものを交際費にするのは辞めたほうが
いいよ。
あくまでも個人的な見解だけどね。」
「そうなんですね、
聞いておいて良かったです・・・。
気をつけます。」
「うん。ただね、少し
矛盾するようなことを言うけど、
だからと言って慎重になりすぎて
経費にできるものをしないのは保守的
すぎるとも思う。
自分が必要経費だと説明できるものは
堂々と経費にしたらいいと思うよ。
それに税理士が経費NGと言っても、
税務署の調査官はOKと言う可能性は
あるし、逆もあるだろうからね。
その点はあくまでも自己責任。
自分でしっかり判断する意識は大切。」
まあ、そうだよね。
最後は自己責任だ、自分の事業だし。
さらにタイヨウは続けた。
「それから、交際費も含め、
経費にするものは、
きちんと領収書はもらうこと。
それと、交際費については、
メモをしておくといい。
具体的には、
日時の他に、
誰と、
どんな目的の会食だったかを
メモしておくといい。
後で聞かれても思い出せなかったり
するし、答えられなくて税務調査で
否認されたら困るからね。」
「わかりました。
ありがとうございます。」
僕は、想像していたことと現実は
違うのだなと改めて感じた。
そんなに世の中甘くはないよね。
そして、
あらためて専門家に聞くことの大切さ
を感じながら、
追加のハイボールを注文した。
8.これは何費ですか?勘定科目の話
「そういえば、タイヨウさん、
昔、簿記3級の勉強していた時に
苦手だったんですけど、
勘定科目の使い方って
何か決まりあるんですか?」
だんだんアルコールで酔いが回り始め、
緊張がほぐれてきた僕は、
タイヨウに次々と質問をしていた。
「おお、勘定科目か。
そうだな、
一般的にこういう費用はこういう科目
というのはあるかな。
例えば、出張に使った交通費は
「旅費交通費」という科目を使うとか、
それこそ接待費用は交際費とか。
ただ、法律で決まっているとか、
そこまでガチガチではない感じかな。
あ、一部会計ルールで指定
されている勘定科目もあるけど、
個人事業ではほぼ影響ないから。」
「そうなんですね。
結構ガチガチにルールみたいのが
あるんだと思ってました。」
「うん。
よく、これは何費ですか?
という質問をクライアントさんから
聞かれることがあるんだけど、
さっきも言ったように、こういう費用
は◯◯費というような一般の慣行的な
ものはあるから、
それに従って勘定科目を決めることが
多いかな。
会計ソフトの勘定科目を見ると、
その科目を使うケースの例なんかも
確認できたりするよ。
迷ったら参考にするといい。
ただ、どれにもあてはまらなかったり、
判断に迷うような費用が出てくる場合
もあるよね。」
「えっと、具体的にどんな場合ですか?」
「例えば、仕事に関係するセミナーに
参加した時の費用科目をどうしよう、
と思った時に、会計ソフトの科目利用例
がないケースとか。
そう言う場合は、その内容に近そうな
科目を使うことに決めればいい。
この場合は例えば「研修費」とかだね。」
「なるほど。」
「そして、ここからが大事。
一度その科目を使うと決めたら、
それ以降も仕事に関するセミナー参加費
は「研修費」を使い続けることが大切。
なぜかというと、比較できなくなるから。
例えば、今年は研修費どれくらい増えた
かなと分析しようとした時に、同じような
研修費を別の勘定科目に入力していたら、
比較分析できないでしょ?
まだ予算残っているから研修受けようと
いう判断になってしまったら大変。
お金を使いすぎてしまい、
結果的に判断を誤ったことになりかねない。
こんなふうに、経営的な意思決定に活かす
ための会計を管理会計と呼ぶんだけど、
そもそも会計ソフトへの入力がバラバラ
だったら、
管理もへったくれもないからね。」
なるほど。
奥が深い。
「確かに。
ただ記帳すればいいというものでは
ないんですね。
でもなんか面倒ですね。
いちいち全てを判断しないといけないのは。」
「そうだね。たとえば、
クラウド会計ソフトなんかは、
銀行口座やクレジットカード明細情報と
連動しているから、その情報から勘定科目
をあらかじめ予測してくれたりもするよ。
経理実務に詳しい人なら勘定科目の判断
は比較的簡単かもしれないけど、
そうじゃない人のほうが多いよね。
最近の会計ソフトは会計に詳しくない人が
使いやすいように工夫している。
会計ソフトも進化しているんだね。」
「へえー、そうなんですね。
すごいな。
ちょっと会計ソフトいじってみたく
なりました。
今度やってみます!
ちなみに、
世の中の会社はだいたいどこも、
同じ費用はみんな同じ勘定科目を
使っているですか?」
「うーんどうだろう。
統計取ってるわけじゃないから
はっきりとはわからないけど、
きっと答えはNOなんじゃないかな。
例えば、
オレが知っている会社はそれぞれ、
コンサル費用を「支払手数料」だったり、
「業務委託費」だったり、「支払報酬」
なんていう科目を使っていたりする。
ある程度しっかりした会社は、
社内の経理規程の中で、
”こういう費用はこの勘定科目を使う”
と勘定科目細則というルールを決めて、
それを使っているケースが多いんじゃ
ないかな。」
カンジョウカモクサイソク?
なんかわかんないけど難しそうだ。
「そうなんですね。
必ずしも一律に、というわけには
いかないんですね。」
「うん。
今後そういう未来が来るかも
しれないけどね。
話を戻すと、
中小企業や個人事業主の経理は、
税金計算をして税務申告をすること
が主な目的だから、会計ソフトの科目
の定義なんかに従って処理すれば問題
ないよ。勘定科目に迷う費用は、
この勘定科目を使うと決めて、
それを継続する、という感じかな。」
そう言うと、
タイヨウはまたビールの
注文をした。
タイヨウはビール党のようだ。
それにしても奥が深い。
なんとなく聞いた勘定科目だけでも
こんなに話が拡がるのか。
むむむ、経理、おそるべし。
9.自宅家賃やスマホ代を経費にする方法
「ところで、大谷は今、
オフィスを借りているの?」
おかわりで注文した、
きめの細かい泡が注がれた冷えた
ビールに口をつけながら、
タイヨウは僕に質問してきた。
「いや、僕の仕事は在宅でもできるので、
特にオフィスは借りていません。
今は、マンションの部屋が
オフィス代わりです。
2部屋あるので、
1部屋を仕事部屋にして
まして。
あの、一応、大家さんとは仲良しで、
こっそりお許しは得ているのですが。」
「そうか。お許しあるなら安心だね。
それに、そのお部屋の賃料のうち、
仕事部屋分を経費にできるよ。」
「え!?
そうなんですか?」
僕は思わず食い付く。
「うん。
家事按分っていうものがあってね。
仕事とプライベートの両方で使っている
ものについて、それにかかる費用のうち
仕事に使っている分だけ経費にできる
よ、というものなんだ。
例えば部屋の家賃であれば、
仕事に使っている部屋の面積の分だけ、
家賃を経費にすることができる。
同じように水道光熱費なんかも家事按分
できるし、スマホ代なんかも大丈夫だよ。」
カジアンブン?
またなんか難しそうな言葉が出てきたぞ。
「おお!そうなんですね!
ちなみに、
スマホはどんなふうに按分するんですか?」
「例えば、週5日はほぼ仕事に使っている
ということであれば、
7分の5を経費にするとか考えられるね。
もし、どうしてその割合なんですかと
税務調査で聞かれたら、
その割合が妥当な理由を説明できればいい。
もちろん、
理由は常識的に考えておかしくない
というのが大前提だけどね。」
「おおー、なるほどーーー。
カジアンブン、できそうなものピックアップ
してみます。」
「うん、
経費にできるものはしたほうがいい。
これは節税につながるからね。」
「節税!
いい響きですね。」
おもわず節税という言葉に反応する。
会社員時代はほぼ気にならなかった言葉。
「あとは、短期的には節税につながるという
意味で、短期前払費用っていうのがあるよ。
例えば、会計ソフトの利用料を年払いしたり、
オンライン会議ソフト利用料を年払いしたり
していないかな?」
タンキマエバライヒヨウ?
ちょっと待て、前払費用なら
なんか聞いたことあるぞ。
「あ、はい、しています。
そういうのって、
期間按分しないといけないのですよね?
確か、簿記3級で勉強したような。」
「すばらしい、よく覚えているね。
ただ、税務上は例外的に前払費用として按分
しなくてもいいという特例があるんだ。
くわしくは要件があるけど、
さっき例にあげてくれた会計ソフトの
年払いなんかは、
基本的に翌年も継続してサービスを利用する
だろうから、支払った時に全額を費用処理
することが認められるよ。」
「それはいいですね!
按分する手間も省けるし。」
「うん。
まあ、期ずれの問題だからトータル期間で
言えば税負担は一緒なんだけどね。
会計期間があるからこういうことができる。
前払処理は決算の時に必要だけど、
こういう例外を覚えておくといい。」
そう言うと、タイヨウはメニュー
を手に取って、ごはんもののページ
を開いた。
「オレ、もう少し食べたいな。
あ、チャーハン食べる?
ここのチャーハンうまいんだよ。」
タイヨウはそういうと、
僕がはいと言うのとほぼ同時に
お姉さんをつかまえて、
チャーハンを注文した。
いい感じに酔って、
頭の中もお腹もパンパンになってきた。
そろそろ終わりかな。。。
と思ったら、
また新たな話が続いたのだった・・・。
10.お金をもらったら売上計上は正しいのか?
「そういや、
大谷はもう売上あるんだっけ?」
若干目が座ってきたように見えるタイヨウは
僕に問いかけてきた。
「あ、はい。
こないだまで勤めていた会社から
いくつか仕事の案件をもらっていて、
すでに納品完了しているものもあります。」
「すばらしい!
じゃあもう売り上げを計上して
請求しているのかな?」
「えーと、いいえです。
会社から支払いは全部終わってから
まとめて請求してくれと言われていて、
まだ請求書は送っていません。
当然お金も貰えていないので、
売上はまだ上げていません。
というか、会計処理は後手に回って
ますけど・・・。
ちなみにまだ預金残高は余裕があるので、
なんとかなってます。」
僕がそう言うと、
タイヨウの顔が少し曇る。
「まず資金繰りに影響がなくて
なによりだね。
ただ、
今の話を聞いてて気になったのだけど、
売上の計上のタイミングは、
入金されたタイミングでいいと
思っている感じなのかな?」
僕はおそるおそる答えた。
「は、はい、そう思ってました。
お金もらっていないのに、
売上計上できないですよね。」
「うーん。
それはね、現金主義というのだけど、
結論から言うと原則NGだ。
例外はあるのだけど、基本的には、大谷
の仕事の場合、納品完了しているのなら、
その時点で売上を計上するのが正しい。」
「そうなんですか、
知りませんでした・・・。」
「うん。これは少し専門用語使うと
実現主義っていう考え方なんだけどね、
大谷の場合、納品完了していたら、
お客さんからお金をいただく権利が
発生しているでしょ?
だから、そのタイミングで売上を計上
するんだよ。」
ゲンキンシュギにジツゲンシュギ。
なんか大正時代の芸術学派みたい。
「そうなんですか、、、
ありがとうございます。
あの、一つ質問ですけど、
もし前金でお金を受け取っていても、
お金を受け取ったタイミングでは売上を
計上してはいけないということですか?」
前金で受け取るビジネスモデルを考えて
いた僕はドキドキしながら聞いてみた。
「そのとおり。
あくまでそれは前受金。
大谷が仕事を完了したタイミングで、
売上を計上するのが正しいよ。
前受金で先にお金をいただくことはよく
あるし、資金繰り的に助かるよね。」
「はい、そうなんですよね。
お恥ずかしながら、僕のように資金が
潤沢にない場合は、
前受金はとても助かります。
なんとなく、
もらったお金=売上
のような感覚でいましたけど、
そうじゃないのですね。
ありがとうございます!」
そういや、売掛金っていうのあったな。
入金と同時に売上が計上されるわけではない
からその科目があるのか、
なんて頭の中で昔の記憶を更新していた。
そんな話をしているうちに、
熱々のチャーハンがきた。
ご飯や具材を焼いた香ばしい香りと湯気が、
僕の五感を刺激する。
取り皿を一つ取り、レンゲで取り分けると、
僕はすかさず口にチャーハンを放り込む。
塩加減やほんのり卵の甘さのあるやさしい
味。クセになりそうだ。
「どうだ、うまいだろ?
飲んでいると味が濃いものばかり食べたく
なるけど、終盤になるとこのやさしい味が
欲しくなるんだよ。」
お、終盤ということはそろそろ終わりか。
もう頭が破裂しそうだ。
それにしても、
本当に録音しておいてよかった・・・。
11.使うことで費用になるもの。減価償却の話
「まあ、こんなもんで
だいたい話したかな。
あとは、えーと、あ、減価償却の
話だけしとくか。」
僕は、まだ続くのかと思いながら、
気力を振り絞る。
「あらためて、
固定資産って知ってるかい?」
「あ、はい。
建物とか、車とか。
あと、さっきタイヨウさんが言って
いましたけど、僕のビジネスでは
パソコンとかですよね。」
かろうじてまだ覚えているな。
「そのとおり。
固定資産というのは、
商品販売などのようにすぐに
現金化することを目的とせず、
資産を長期間使うことにより
利益を生み出す資産のことをいうよ。
ちなみに長期間とは、
具体的には1年超だね。
それで、
この固定資産を費用化することが
できるんだけど、その方法を
減価償却というんだ。」
なるほど。
これも簿記の勉強で習ったけど、
あらためて聞くと復習になる。
▼
「例えば、仕事に使うパソコンを例に
しよう。
パソコンを4年使ったとする。
パソコンは、
4年間にわたり大谷のビジネスに
貢献し続けるわけだ。
そこで、
パソコン購入にかかったお金を、
4年間にわたり費用として按分計上
するんだ。
これを減価償却というよ。」
まずい。
簡単な計算だけど、酔いが回って
いるせいか、いまいち理解できて
いない気がするぞ。
「あ、あの、
なんかわかったような、
わからないような・・・。
数字で具体的に教えてください!」
タイヨウは、気にした様子もなく、
笑いながら答えてくれた。
「そうか、ごめんごめん。
例えば、
定額で按分する前提だとすると、
200万円の車を5年乗り続けたら、
200万円÷5年で、
1年あたり40万円を費用とする
イメージだよ。」
「ああ、なるほど。
そうしたら、買った年にまるっと
費用にはできないけど、数年間に
わたってじわじわと経費にできる
ということですね。」
「そうだね。
ちなみに、固定資産の購入価格に
よっては、購入価格全額を費用処理
したり、一括償却資産と言って、
3年間で償却できる方法もあるよ。
今日は詳しい話はやめるけど、
聞きたければまた今度聞いてね。」
「はい、ありがとうございます。」
「話したいことは大体話せたかな。」
「はい。あの、タイヨウさん、
今日は本当にありがとうございました。
正直、頭がパンパンで破裂しそうですが、
とても大切で深い学びの時間だったと
感じてます。
また、しっかり音声を聞きなおして、
一つ一つやってみます!」
「おお、そうだね。
だいぶいろいろ話したからね。
ためになったのならよかった。
チャーハン、冷めないうちに食べて!」
タイヨウはそういうと、
満足そうにビールに口をつけた。
タイヨウは昔からなんだかんだと
面倒見がいい。だから、
タイヨウのまわりにはいつも人が
集まってくる。
僕はそんなタイヨウに憧れていた。
そして、そのタイヨウが、
目の前で親身になって教えてくれて
いる。
勇気を出して行動してよかった。
そんな感慨にふけっていると、
タイヨウが真面目な表情で、
少し遠くを見ながら自分のことを
語り出した。
12.タイヨウの想い
「おれはね、大谷みたいに
起業していく人が、
安心してチャレンジできる世界を
つくっていきたいんだ。」
突然語り出したその言葉に、
僕はタイヨウの真剣な想いが
詰まっているのを感じた。
「経理とか会計とか税務って、
それができたからといっては
売上があがるわけではないし、
経営ではいわゆる守りの部分でしょ?
でもね、経営していくうえで絶対に
なくてはならないものなんだ。
ところが、意外とみんな知らなくて、
その守りの部分で失敗する人もいる。
それに、
わからないって不安だし怖いよね。」
僕はうんうんとうなずき、
熱い視線をタイヨウに注ぐ。
「おれはさ、
そういう人を1人でも減らして、
安心してやりたいことにチャレンジして
もらいたいんだよね。
もちろんなんでも俺にできるわけではない。
でも、俺にできることはある。
だから、
俺にできる方法でそれを実現
していきたい。
今までのように、税務顧問として
手とリ足取り税務会計を請け負うのも
いいけど、時代は変化している。
どういう方法がベストか、
俺にはわからないけど、
オレは教える、伝えるというかたちで、
チャレンジャーを応援したいと思ってね。
それを具体化して、大切な人がチャレンジ
していく未来を考えるとワクワクしてくる
んだ。
最近そんなことを思い始めたところだった
からさ、
今日は、俺にとってもいいトライアルの
時間だった。
大谷、ありがとう。」
僕はびっくりした。
タイヨウにそんな熱い想いが
あるなんて知らなかったし、
純粋な気持ちで、真っ直ぐに世の中に
貢献したいという気持ちを感じて、
思わず感動したのだ。
一気に酔いが覚めた気がした。
「とんでもない、
お礼をいうのは僕のほうですよ。
タイヨウさんと話すと、
いつもワクワクします。
きっとタイヨウさんならできます。
こちらこそ、
こんなにたくさんの専門的なお話を、
タダで教えていただいて、
本当にありがとうございます。
タイヨウさんは、いつになっても
真っ直ぐで熱い人ですね。
感動しました!」
「おお、そう言ってくれるとうれしい
なぁ。具体化するのはこれからだけど、
俺も頑張るから、大谷も頑張れ!」
そう言うと、お酒がまだ少し残った
グラスでまた乾杯をした。
別れ際に、タイヨウは
「決算の前にまた会おう!」
と言ってくれた。
僕はハイ!と答え、
ガッチリ握手をして別れた。
さあ、これからしっかりビジネスを
拡大していくぞ。
もちろん、
タイヨウから教わったこともやる。
そしていつか会社を作る時、
またタイヨウに顧問をお願いしよう。
僕はあらためて心に誓いを立てながら、
人で溢れる品川駅へと足を向けた。
新緑の季節の、
まだ少しひんやりして、
月がきれいな夜だった。
(第2話 おわり)