あきらめななかった先に届いた「合格」。〜私が公認会計士になるまで#8〜
こんにちは。
公認会計士の大塚としひでです。
公認会計士になるまでをつづったお話、
全10回のうち第8回目となります。
前回のお話しはこちら。
アルバイトをはじめる
会計士受験仲間じぇいさんとの会話の前後で、
私は別人になりました。
まず親に頭を下げて、
もう1年だけ勉強させて欲しいとお願いしました。
それから、自分の意識・環境を変えるため、
そして少しでも学費を自ら稼ぎ、親の負担を減らすため、
短期間ですが、当時お世話になっていた資格の学校で
アルバイトを始めました。
試験勉強を本格的にスタートさせる10月くらいまでの
約3ヶ月くらい、平日は毎朝9時~夜の19時まで、
当時高田馬場にあったオフィスに通勤しました。
朝7時の電車に乗り、帰りは毎日22時近く。
サラリーマンとして通勤している方にとっては日常でも、
不慣れな私にはとっても大変な生活でした。
時給は確か900円くらいだったので、
月に20日、必死で働いても20万円いくかどうか。
アルバイトで生計を立てていくことはなかなかしんどい
なぁということを、身をもって体験しました。
また、働いていたビルは昔病院だったそうで、
なんとなく雰囲気も暗く居心地はよくない。
地下室の広いスペースにポツンと置かれた印刷機の前で、
印刷物を3千枚ひたすら印刷する、
なんて仕事もありました(とってもこわかった 涙)。
テレアポの仕事を頼まれ電話したら、
相手に怒鳴られたり、
ぶちっと電話を切られたりしたことも多々ありました。
どっちかというと話を聞いてくれた人のほうが圧倒的に
少なかった。
丁寧に切ってくれる人はまだいいほう。
それはそれはストレスで、私には不向きな仕事でした。
時給はいただいていましたが、
こんな仕事をし続けるのは無理だと感じました。
ただ、そんな気持ちを持たせていただけたこと、
仕事をすることの大変さを、
少しの間ですが学ばせてもらいました。
今考えればとても貴重な時間でした。
その頃の私は、
・お金はない。
・社会的な地位なんて何もない。
・友達はどんどん減っていく。
まさにどん底だと感じていました。
このつらい経験があったから、今たいていのことは頑張れる
のかもしれない。
私にとっては、そんな経験でした。
試験対策で苦手を克服
そして、今まできちんとやれていなかった、試験対策。
自分は何が足りなくて不合格となったのかを徹底的に
分析しました。
その結果、
弱点であった原価計算(今の管理会計)という科目の
克服に集中しました。
幸か不幸か、私は超がつくほどのベテラン受験生と
なっていたため、自分がどんなタイプで、
どんな勉強をすべきかが考えられるようになっていたし、
勉強計画を組み立てることの大切さがわかるように
なっていました。
次のチャレンジはもうないと思い、
昔挫折してずっと放置していた簿記1級の試験にも
再チャレンジし、合格しました。
また、税理士試験にもチャレンジし、
会計士試験と重なる科目である
「簿記論」と「財務諸表論」に科目合格しました。
もし次受けてダメなら、
挫折することになるけど、
もう諦めて会計事務所や事業会社への就職活動をしよう、
そんな覚悟で望んだ、私にとっては最後の試験でした。
あきらめない先におとずれた合格
結果は・・・。
1年後の2004年11月、7度目の挑戦にしてついに、
私に公認会計士試験「合格」の知らせが届きました。
はじめて会計士を志してから、実に8年半を要しました。
あきらめなければ結果がついてくることを証明したと同時に、
何よりもまずホッとした瞬間でした。
(つづく)