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3.11あの時、あの瞬間

あの日から9年が経ちました。
忘れてはいけない日。これからも、あの日、あの時、何が起こったのか。

私自身は、2011年3月11日は仕事で某ビルの15階というそれなりに高い場所で会議をしていた瞬間、底から突き上げる揺れが起こり、さらに大きな揺れが始まりました。
元々、管理部門の人間だったので、すぐに会議室を出てフロア内を見回しながら「床に伏せてぇーー!」と職業柄でしょうか、、大きな声で従業員に呼びかけていました。
その後もしばらく揺れはおさまらなかったので、その足で役員エリアに飛んで行きました。
人事部門を通過しながら、大丈夫ですかぁー!と声かけながら、主要役員の元へ行くと、案の定部屋から出てきていて、私にどうする?避難させるか?など、一瞬の会話をしていて瞬間に、全館放送が流れる。
通常の取り決めとして、自身の場合はその場に留まるが原則。
ビル側との約束でも同じであり、一斉に全員避難というのはよほどのことが無い限り行わないことになってましたが、役員と会話して落ち着かせているところに、全館放送で全員避難指示が出た。
え?!と思いながらも、流れた瞬間に各フロアから皆んなが逃げ始めている。どういうことだ、火災でさえ、上下階の避難があるだけと思っていたのに、この事態はどういうことなんだ。既に大変なことが起きているのか。
避難階段は大渋滞、社内は大混乱、上着も着ていない状態で私は避難場所へ向かい、各社が避難に向かう先に真っ先に向かい、避難者の誘導、自社の従業員への呼びかけ、可能な限り集まって待機するように大声を上げて叫び続けました。しばらくは動くこともできず、携帯はつながらず、役員からの指示を見つけた従業員に伝えながら歩き回ることを続けた数時間。

夕方には階段でオフィスに戻ることはできましたが、
ビルとの連携、ニュース確認・把握、公共機関の確認、役員・主要メンバーとの連携、備蓄品準備、帰宅困難者の宿泊準備などなど夜遅くまでの対応が続いた。

一瞬の出来事で、今までに経験もしたことが無いような大惨事。
忘れるてはいけないあの日。

その日の経験をもとに、多くのことが変わってきているであろうこの9年。
まだまだなところもあったり、被災された皆様は大変辛い日だったに違いない。

私自身、その後数年に渡り復興支援に関わる業務ができたことで、東北のその時を肌で感じることができたので、心に感じるものは常に残っております。これからも自分にできることを少しでも形にしていけたら幸いです。

現在、世の中も様々なことで大変な時期ですが、日本ガンバレ!!!





拙い文章となりますがご覧いただき有難うございます。