日本誕生の謎を解く⑪斑鳩王家滅亡の謎
蘇我氏が山背大兄王を襲撃
倭国が高句麗と百済から三国同盟を持ち掛けられたであろう643年、倭国で重大事件が発生しました。
厩戸皇子の後継者である山背大兄王が突如、蘇我氏の襲撃を受け、滅ぼされたのです。
書記では、厩戸皇子は摂政で皇太子とされていますが、私は厩戸皇子こそ倭王であり、山背大兄王はその後継倭王であったと推測しています。
法隆寺の金堂釈迦三尊像の光背に刻まれた文字では、厩戸皇子について「上宮法王」と呼び、最初の元号といわれる「大化」よりも古い「法興」という元号が使われています。
隋書において倭王は男であったと記録されているので、「倭王は推古女帝で厩戸皇子は摂政かつ皇太子だ」という日本書紀の物語をあえて疑ってみます。
父である倭王:厩戸皇子が高句麗と密接な関係にあったので、後継倭王である山背大兄王も高句麗・百済との同盟に前向きだったとしたら。
中華帝国との対立を恐れ、中立主義に徹したい蘇我氏が、反体制派と組んでクーデターを起こした可能性を感じます。
それを直接示す記録はないようですが、東アジア史全体の流れを見て、この時期の倭国で起こりうるいくつかのパターンをパズルのように組み合わせて考察して得た推論を私は説明しています。
私と同じパズル思考を経験していない人にとっては、なぜこうなるのかわかりにくいと思います。
蘇我氏は馬子の時代には高句麗との関係を重視していました。
それは当時、高句麗から倭国にやってきた恵慈の記録が書紀にあることで想像できます。
しかし、蘇我蝦夷の時代になると、倭国は遣隋使の派遣によって仏教導入が軌道にのり、国家体制の構築もかなり進展したことがうかがわれます。
そういう段階で社会を主導してきた官僚が世界情勢を眺めた時にどう思うかを私は考えます。
中華帝国から目のかたきにされている高句麗と協同する意義を感じなくなっていたとしてもおかしくないのです。
ところが現代でも社長さんは社長であるがゆえに、最新情勢についてあまり細かい分析をしていないことがあります。
組織のトップにある人は役割として周囲とのお付き合いが重要なので、情報分析がどうしてもおろそかになりがちなのです。
倭王が蘇我氏ほどには的確に未来を見通すことができなかった可能性は少なくないです。
付き合いの深い百済系の人々から陳情されれば、倭王としてはイヤとは言いにくいし、彼らが持ってくる情報で脳内が埋め尽くされてしまうのは自然なことです。
倭王との見解の相違が蘇我氏を悩ませた可能性が高いと言うことです。
倭国は、高句麗が滅亡し半島の勢力図が一変しても東方の独立国として綱渡りができるところにまで成長したのに、今さら高句麗と心中させられてたまるか。
むしろ唐の高句麗遠征を機に唐との関係を深めておく方が倭国のためではないか。
その程度のことが今の倭王には理解できないなんて。
蘇我蝦夷はそんなふうに考えていたのではないでしょうか。
前年に発生した高句麗でのクーデターの影響を受けて、蘇我氏は淵蓋蘇文とは逆の目的で同様の手段に踏み切り、斑鳩王家を滅ぼしたと想像できます。倭国の未来のためです。
傀儡倭王として皇極女帝を擁立
このクーデターにより倭国は、蘇我氏が皇極女帝を傀儡とする政権に移行したと書紀に記録されています。
皇極女帝は舒明天皇の妻であり、その家系は敏達天皇(用明天皇の兄)から出ています。
参考系図
https://dl.sekainorekisi.com/wp-content/uploads/edd/2020/06/610b9dca0052725f877c913718c5d4a6.png
つまり、用明天皇の子孫である厩戸皇子の家系とは別系統なのです。
これは私の仮説ですが、7世紀の倭国王家では用明系と敏達系の二つの家系の対立がありました。
結果的に敏達系統が奈良朝の天皇家につながり、その黒幕となる藤原氏(中臣氏)によって日本書紀が作られました。
大胆な想像ですが、山背大兄王が滅亡したあと、用明系統の誰かが傀儡倭王として一時的に擁立されたのではないか。
もちろんその傀儡倭王は書紀に記録されておらず、その倭王が誰であったかについて学説さえもありません。
新政権の外交方針
蘇我氏は崇峻天皇に続いて斑鳩王家を滅ぼし、傍系の皇極女帝を擁立しました。
倭国の実質的な指導者は蘇我氏だったということです。
蘇我氏の外交方針は唐との融和政策であったと想像します。
ことによっては唐帝国から倭王として冊封を受けることを考えていたかもしれません。
倭国存続を真剣に考えれば、そういう選択肢を捨てるはずがないのです。
高句麗・百済との同盟に前向きだった倭王家がクーデターで打倒された。
新しい倭王は唐・新羅と同盟するらしい。
そうとなれば、高句麗と百済にとっては最悪の事態となります。
そして2年後の645年、倭国情勢は誰もが知る重大事件「乙巳の変」へと向かいます。
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>