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お祖父さんの戦場(3)匪賊討伐

第一次上海事変後、満州に移動した第9師団に私のお祖父さんが伍長として所属としていました。
満州駐箚(ちゅうさつ)任務で最も危険なのは匪賊の討伐です。

広大な満州ではそれまでの歴史において、中央政府の統治が村落に及んだことはほとんどありませんでした。
治安と秩序は都市部に限られ、しかも当時は軍閥間の抗争で治安が悪いため都市を一歩出ればそこは無法地帯。

農村は自衛のために武装し、互いに連携するしかありません。
その背後にいたのが匪賊(ひぞく)や馬賊(ばぞく)と呼ばれた非合法武装勢力でした。

奉天軍閥の首領として有名な張作霖も満州馬賊の出身でした。
匪賊は村や財産があるところを襲撃したり、富裕者を誘拐したりもしますが、自衛組織の一面もあります。

数千年の流儀で自治をやってきた地方に、いきなり日本軍がやってきて日本流の秩序をもたらそうとしても無理があります。

当時、満州に対する日本の権益は満州鉄道沿線に限られていましたが、沿線の治安維持のために匪賊討伐権が国際的に承認されていました。
目障りな匪賊を討伐すると称して、所在の関東軍が頻繁に出動しました。

匪賊は馬賊、つまり馬に乗って小銃を打ち、相手が手ごわいとみれば山野に隠れますから、匪賊討伐は数日にわかって山野を彷徨うことになり、不意打ちを受けたり、怪しい家屋を摘発したりと、常に緊張を強いられる活動でした。そして、日本兵の犠牲も多かったのです。

捉えた匪賊は多くの場合、現場で処刑されます。
そういう写真はネットでいくらでも出てきます。
お祖父さんも持っていました。

軍隊は24時間、分刻みで統制され、何が正義であるかを考える余裕を与えません。
お祖父さんの胸の内を想像すると、現代の常識とは相当かけ離れたものだったと思います。

でも、それも私の勝手な想像にすぎません。
私は何も聞いていないのですから。


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心理法務カウンセラー アマチュア歴史研究者 ひの
ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>