Vtuberを勝手に回顧して、勝手に未来を予想する。①初期編
皆さんがVtuberという存在を知ってから、そこそこ時間が経ったと勝手に仮定して、この文書を書かせていただきます。
まず、私がVtuberの存在を知ったのは、あの初代Vtuberが誕生した時と完全に同時期でありまして、その時まず最初に思ったことは、
「これはすごい商売を考えたもんだ」
です。世間一般とはまた視点がズレているのかも知れませんが、私は世間が注視している技術革新よりも、市場規模の推移のしやすさと他コンテンツへの取り入りやすさが特に光る物だと感じました。理由としては、それまで日本のオタク社会は概ねアニメとアイドルの2分割状態でありまして、鉄道などの他分岐を除いて最大母数を予測した時やはりその2つに帰結すると思ったからです。実際、アイドルマスターなどのその両方を行き来出来るコンテンツというのは、Vtuberが誕生するまでは、凄まじい人気を誇っていました。しかし、Vtuberの誕生によって、その世界は大きく転換することになりました。
では何がそこまで大きく違うのか、それは
『距離の直接化』
です。この言葉は他に換言すると、ホストへの貢ぎ物などに近しい意味合いを持ちます。ここまで読めばVtuberに詳しい方々なら分かると思いますが、これはスーパーチャットを指している言葉です。そして、Vtuberに対しては、それに対して反応を貰えてしまうという世の中のオタク種族のファンサ文化の最上位を文字通り金でモノを言わせることができるのです。つまり、このVtuberが誕生した瞬間、実質的なアニキャラに触れ合うことが可能になったのです。いえ、なってしまったのです。そうなってしまうと、今までアニメオタクの人々が声優たちに投げていた金の方角が変わることなんて火を見るより明らかです。そしてただでさえ廃課金文化があり、盲目的になりやすいあの種族にそんなツールを与えてしまったら最期、すべての時間と金を支払いつづける事なんてわかりきった話でした。
ここまで語ると
「最初期が動画であって、それが移り変わったのだからその思考は後付けなのでは?」
と思う方が出てくるかも知れません。ですが、正直ライブ配信に変遷していく事なんて、誰でも予想できる事だったと私は考えます。理由としては、簡単に言うと
「オタクは近いと嬉しい」
という習性が理解された上で誕生した誰でもなれる動く絵(この言い方が多々批判を受ける言い方なのは重々理解していますが、中身を全く分からないのに外側を用意すれば誰でもなれてしまうコンテンツに対して、これ以上的確な表現は存在しないと考えます。)をもってして、広告単価が平均より高いとされ、スタジオ代も発生せず、視聴者を長時間コンテンツに括り付けられる配信という媒体が拡散しないわけがないからです。まして、ただでさえアニメの声優イベントや地下アイドルの文化が根強い日本で費用をかけにくい配信が流行らないと見るのは、逆に視点に問題があると思います。
さて、ここまでで、市場の源泉とフォーマットの転換について書かせていただきました。私としては、何本かこのシリーズを書き上げて、いつの日か、「Vtuberが何なのか知りたいなら思想家Aのnoteのこれとこれを読め」みたいな感じになることを夢見てます。②以降では今回の文のより深掘りと、企業化の変遷を解説していこうと思っています。高評価等あると、思想家Aがニコニコしながらご飯を食べれます。よろしくお願いします。
それではまた。
文/思想家A
⚠︎基本的には直接名を避けてはいるのですが、アイマスは換言方法が無かったので、直接名を使用しました。
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