自分の言葉で綴りたい。 大仰に言えば言葉の選択、並びで神経を使うからしんどい行為。 でも、自分の想いは自分の言葉で綴らないと伝わらない。 たとえ自己満足と言われようと、自分の言葉で綴ることはやめられない。
以前投稿したものと内容は重なります。 あらかじめお詫びを。 施設管理をしている関係で月に1~2度は出張します。 前の所属では滅多に出張することがなかったのですが、若い時はやはり現場を持っていたので上司からは時間を作って現場に出向くように指導されていました。 図面や電話でもわかった気になれる、しかし、現場に行ってそこで実際に業務に従事している人の話を聞く。現場を見せてもらう。最初はわからなくてもいい、でも、何度か通っているうちに2次元の図面が3次元になってくる。電話やメール
多くの上司と仕事をしてきました。 思い出したくない人もいますが、大部分は今でも一緒に仕事をして指導を受けたいと思う方々です。 当時、人事関係の仕事をしてピーク時には週1日だけ休んで他の日は全て終電間際、時には「始発電車が動くから帰るか」という生活をしていました。 人事異動の関係ですから、当然のようにあちこちから注文は入る。 あちらを立てればこちらが立たずの繰り返しで当然、疲れも溜まって余裕なんてない。ずいぶんと殺気立っていたように思います。 その時の上司に言われたことは「
アンパンマンのオープニングソングで「愛と勇気だけが友達さ」という一節がある。では、ジャムおじさんは製造者ということもあるが、カレーパンマンやしょくぱんまんとはどういう関係なのか、友達ではなく協力者なのか?我が子が見ていた時代から10年以上経っても答えは出ない。
これはもう一つの方に書いたのですが、電車内の動画広告で「簡単麻婆豆腐」というものを紹介する動画がありましたが、それを見た感想を・・・。 麻婆豆腐は家庭中華でもオーソドックスな一品ですが、作り方をざっとおさらいすると 豆腐を少し大きめの立方体に切って、湯通しをする その間に油をニンニクで匂いをつけながら温め、長ネギ、挽肉を入れて火を通し、一旦引き上げ、豆板醤に火を入れて香りが立ってきたところに先程の炒めた長ネギ、挽肉を戻して調味料を入れて馴染ませたところに、湯通しした豆腐を入
そろそろ仕事の店じまいをする歳が近づいてきました。 働き始めて上司や先輩に言われた言葉をふと思い出すことがあります。 「飲んだ次の日は這ってでも出勤しろ、間違っても遅刻はするな」 「関係ができるまでは電話で済ますのではなく、声と名前と顔が一致してもらえるまで相手先に出向け」 「お前が部下を持ったら部下からの相談は自分の仕事を後回しにしてでも話を聞け、それが難しい時は話を聞ける時間を明確に提示しろ」 「部下の責任はお前の責任、部下の手柄は部下の手柄、お前の手柄ではない」 「自
本を読むことは大好きです。 しかし、本の紹介という行為。 正直なところあまり好きではありません。 理由はいくつかありますが、本の紹介は自分の考え方を押し付けてしまわないかということ、自分の読んだ本を紹介することで自分の内面をさらけ出すというと大袈裟ですが、自分の嗜好を晒してしまうことへの抵抗感が大きいのだと思います。 Ⅹでは2回程ポストした石田明さんの「答え合わせ」という本。 これは好きではないと冒頭に書いた「本を紹介するという行為」、それをしたくなる作品です。 あまり書く
ある方がきっかけでここで文章を書くということを始めました。 Ⅹでも色々書いてはいますが、140文字という制限では伝えられないこと、それは自分の文章力の未熟さによる部分も大きいのですが、それを字数制限を緩和した状態で言葉を紡いで頭の中でふわふわとしている自分の思いを形にする、これはこれでなかなか楽しいものです。 書くという行為は自分の考えや思いを整理して、相応しい言葉で見える状態にする作業ですが、やはり制約はない方が楽しいと思います。 教育を否定する訳ではありませんが、振り返
我々が普段何気なく使っている言葉や文字は道具だと思います。 道具に例えるなら刃物。 だから正しく使うと非常に便利、しかし、使い方を誤ったり間違った使い方をすると怪我をします。 ただ、刃物と違うのは刃物は怪我をすると血を流すのではっきり見えるし形あるものだから見える。間違っても刃を握ることはしないし、刃先を相手に向けるということはしません。 しかし、言葉は見えないから傷も見えない。 文字も自分の手を離れたら相手がどう受け取るかは制御できない。 だから言われた側や受け取る側がど
THIS IS プロ野球! 昭和63年10月19日、当日の試合中継の実況を担当し、惜しくも鬼籍に入られたABCの安部憲幸アナウンサーが発した言葉です。 昭和63年10月19日川崎球場、この日を聞いてピンとくる方は同士だと勝手に思っています。 今はタイトル写真の通り富士通スタジアム川崎となってしまった川崎球場で、今は球団としてはなくなってしまった近鉄バファローズが球史に残る文字通り息をつかせぬ激しい戦いを繰り広げ、日本のプロ野球史上未だに更新されないし将来も更新され
ダイエットのために本を読むのをやめようという訳ではありません。 Ⅹで日々ポストをしていますが、言葉がうまく出てこないことがあります。 例えば日の出の時の空の色。 写真のように夜と朝の間に色がある。この色は自分の今の技術で文字だけではうまく表現できない。 それに比べて枕草子の「春はあけぼの」。 春の早朝の空の色の変化を簡潔な言葉で表現する文章は未だ出会っていません。無論、最高の文学作品と私が書いている駄文を比べること自体が非常におこがましいのですが、それにしてもあの表現方法、
10.19がやってくる。 興味のない人にとってはただの10月19日。 しかし、自分にとっては誕生日以上に1年で大事な1日。 書こうとしても想いが先走ってうまく表現できない、なんとか間に合えばいいけれど・・・。 もったいつける訳ではないけれど、当日書き連ねようと思います。
「おもう」という言葉 口にすると同じ「おもう」 文字にすると「思う」と「想う」 「思う」は思考 「想う」は思慕 「あなたを思う」より「あなたを想う」の方が感情が強く伝わる。 同じように「あう」という言葉 口にすると同じ「あう」 人と人との関係に限定すれば「会う」「遇う」「逢う」 「遇う」は別としても 「あなたと会いたい」より「あなたと逢いたい」の方が感情が強く伝わる。 口にすれば同じ発音の言葉でも 見えない言葉を「文字」という道具を使って可視化することで伝わる感情 日本
大学に通っていた頃、図書館司書の講座を受講していました。 本が好きだということ、図書館に行って様々なジャンルの本に囲まれることが好きと言うのもあり、多少の打算もありましたが講師陣も図書館学の教授もいれば現役の公立図書館長もいる、はたまた新聞記者もいるということで毎週、その時間が楽しみでした。 その中で、200文字という制限の中で自分のお薦めの本を紹介するという実習があり、限られた文字数で自分の想いを伝えることの難しさと楽しさを学ぶと同時に、一定の制約下で説明するというそのまま
衝動的に午後の仕事を休んだ。 衝動的なので理由は自分でも解らないが職場の人間関係等々はあったことは事実。 職場のメンタルチェックでストレスが高い状態と判定され、ストレスを解消することはしませんか?と契約のカウンセラーに言われたが、コップに例えれば常時注水されている状態で、一時的に溜まった水を捨ててもまたすぐに溜まるし、その間の落差が大きい。 蛇口を締めない限りストレスは常時溜まるから無駄なことはしないと言ったが、それでも衝動的に仕事を休んだ。 誰もいない冷房の効いたバスの車内
仕事の話です。 現在、複数の施設を抱えていますがそのうちの一つがどうしても収支改善が見込めず、廃止または譲渡の判断をせざるを得ない時期に来ています。 しかし、現在のトップが判断をすることをしない。 「自分がこの席に座っている間は判断はしない」と平気で言ってしまう。 自分が廃止したということで周囲からあれこれ言われるのを避けているとしか思えない。 マネジメントをする立場にあるものは、判断することが一番の仕事。 財政上あるいは利用者の状況など材料をそろえるのはプレーヤーの仕事であ