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シューリヒト&VPOのブル3:自然体のバランスで魅せる名演 (1965年12月2~4日録音)

カール・シューリヒトが1965年12月2~4日にウィーン・フィルと録音したブルックナーの交響曲第3番は、どこか独自のバランス感覚を持っている。他の指揮者が極端に走るのとは違い、自然体で「音楽そのもの」を描くスタイルが光る。では、楽章ごとにその特徴を掘り下げてみよう。


第一楽章:静から動へのドラマの移ろい

第1楽章は、シューリヒトらしい自然な音の流れが際立つ。序盤の静謐な主題提示から展開部への盛り上がりが秀逸で、ぐんぐん山を登るような高揚感がある。再現部からコーダにかけては、響きの力強さを最大限に引き出しつつ、押しつけがましさがない。ウィーン・フィル特有の美しい響きは確かにあるが、それを前面に出すのではなく、音楽の中に溶け込ませている。これが「聴き疲れしない」理由だろう。


第二楽章:温かみと崇高さの調和

第2楽章はシューリヒトの優しさが滲む一曲。弦の旋律はしっとりしているが、決して湿っぽくならない。展開部の対話的な部分では劇的な瞬間もあるが、全体的に「語りかける」ような柔らかさがある。そして再現部に入ると、シューリヒトの緩やかなテンポ感がドラマ性を自然に引き出してくる。余分な感傷を排した中で、音楽が息づいているのが素晴らしい。


第三楽章:リズムの切れ味と柔らかなコントラスト

スケルツォは、リズムのキレが際立つ。アクセントが鋭く、全体に活力がみなぎっているが、木管のトリオ部分でふっと訪れる静けさが鮮烈。ここでの柔らかい音色が全体の活発さと絶妙なコントラストを成している。スケルツォ特有のエネルギー感がありながら、聴き手に息つく余裕を与える構成が見事。


第四楽章:複雑さをシンプルに紡ぐ技

第4楽章は複雑なフレーズが絡み合う楽章だが、シューリヒトの手にかかると明快だ。音楽の構造を明確に掴み、響きを整理しているため、聴き手は混乱しない。特に終盤のクライマックスは圧巻。壮大な音響が響き渡る中、過剰な力みが一切ない。テンポの選び方、余白の活かし方が絶妙で、音楽が自然に流れていく。これがシューリヒトならではのフィナーレだ。


総括:特別なことは何もせずに、音楽を純粋に描く

シューリヒトが描くブルックナーの魅力は、究極的には「何も足さない」ことに尽きる。ブルックナー演奏にありがちな誇張や意図的な演出を極力排除し、響きの自然な流れと余白の力を最大限に活かす。この姿勢が、この3番を独自の存在感あるものにしている。

ウィーン・フィルの美音を前面に押し出すベームやクナッパーツブッシュの演奏とは一線を画し、ザンデルリンクのような熱血過剰さも避ける。そしてチェリビダッケのように宗教的な敬虔さで楽曲を研ぎ澄ますのでもなく、ただ純粋に音楽の「自然体」を追求する。それがシューリヒトのブルックナーだ。

ブルックナー3番は、とっつきにくいイメージを持たれることが少なくないが、シューリヒトの手にかかるとその壁があっさりと取り払われる。聴き手は肩肘張らずに音楽そのものを楽しむことができ、なおかつ新たな発見が次々と訪れる。この演奏には派手さや華々しさはないが、その分だけ何度も聴き返したくなる不思議な魅力が宿っている。まさにいぶし銀の名演と呼ぶにふさわしい。


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