【考察2】なぜ科学はオカルトを退けたのか(近代編) 💢💢
自然界のさまざまな仕組みを解明し、多大の功績を上げてきた近代科学を批判的に見直す、あるいは対処しなければ、オカルトを肯定する余地はありません。
まず本稿では、近代科学とそれ以前の伝統科学(自然哲学)との違いに焦点を当て、科学とオカルトがどのような点で対立しているのかを明らかにしていきます。
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近代科学とは
わたしたち現代人が模範とする近代科学の成立には、理性や合理性を重視する価値観が背景にあります。近代化は17世紀以降のヨーロッパの理性的な価値観のなかで成立しましたが、近代の理性主義を基礎づけたのは哲学者であり数学者でもあるルネ・デカルトでした。デカルトに代表される機械論的自然観は、人間と自然を厳密に分け、主体と客体を区別し、心と体を分離し、精神と物質という独立した実体から世界を構築します。そして、思惟する主体である人間は、生命なき自然の対立者としてこれを客体化し、「機械」として認識するものでした。当時の身近な機械は時計でしたが、これを分解すると、テンプ、ガンギ車、歯車などの複数の部品が規則正しく連携し、ひとつの体系的な運動を達成していることがわかります。自然もそれと同じように基本的な物質とそれら物質どうしの規則的な運動に還元して説明し、すべての現象を必然的な原因と結果の関係にしたがう物質の運動としてとらえます。
物と心を分ける二元論によって、物質は純粋に定量的な実体としてあつかわれるようになりました。活力や意志といった能動原理をもたない自然現象は、機械のように決まりきった動作から説明されます。これにより、自然現象の研究では形而上学や神学を排し、物質的な原因のみを考慮するという考え方が成立しました。そして、還元論的な方法による因果関係の分析が可能になったとも言えます。その結果、時間的・空間的に広がる複雑で多様な現象を、より単純な現象や要素に分解し、それらの単純化された因果関係がもつ規則的な再現性を解析することで、一般的な法則を発見することが自然を理解する正しい方法とされるようになりました。
世界の万象はきわめて多層的で複雑であり、時間や空間にわたるあらゆるレベルの現象が複雑に絡み合っています。これらの現象は、観測者自身を含む膨大な数の要素とその間の無数の関係性によって形成されています。そのため、複数の要因が関与する現象は、普遍的な法則だけではとらえきれない複雑で多様な個別性と動的な関係性を示します。このように高度に複雑な現実の世界そのものを、人間の思惟や理性でそのまま理解することはきわめて困難です。そこで、客観性、再現性、普遍性などの等質性によって説得力を確保し、原理や法則などの一義的な理論を用いて複雑な世界を単純化し、理解しやすくするのが近代科学の手法なのです。
伝統科学とは
一方、近代科学以前のヨーロッパでは、アリストテレス自然学やプラトン主義、ヘルメス思想などが代表的な科学観や自然観を形成していました。古代ギリシャ時代からつづくこれらの科学理論の特徴は、機械論や二元論、還元論とは異なり、自然界の原理に有機体(生物)の性質を導入した点にあります。生物とは、個々の 細胞や器官が有機的に連携し、自発的に秩序ある組織や心の働きをつくりだします。自然もそれと同じく、合目的性、自己組織化、動的な相互関係、相互依存性、そして、内的経験と外的経験(主観と客観、心と物)の連続性をもつものと考えられたのでした。古来、自然界のあらゆる事物や現象は、有機的な統一を保ちながら自己発展し、自発的に秩序を形成するという生物学的な特性をもつと考えられていたのです。
人間もこの自然の有機的秩序の一部であり、それゆえに自然は人間にとって規範の源であったのです。人間の行為も自然の秩序を乱すことなく、調和のなかで生きることが求められていました。たとえば、西洋哲学の源流である古代哲学者プラトンの有機体論的自然観は、宇宙をひとつの生き物としてとらえるものでした。彼にとって宇宙は単なる機械的な集合体ではなく、物質の無秩序な動きのなかに秩序と調和を与える知性が含まれているのです。この考え方は、哲学的著作「ティマイオス」に顕著であり、宇宙そのものが生きた存在として描かれています。その記述では、宇宙は不可視の霊魂をもち、その身体である物質の運動に秩序を与えることで、全体の調和が維持されると語られているのです。
プラトンの宇宙論では、すべての事物は宇宙霊魂のなかにあり、互いに関係をもちながら全体の一部としてまとまっているとされます。プラトン哲学における魂とは、みずからを動かす能動的原理であり、物質の運動の原動力ですが、その本性は物質に秩序ある運動を与える知性です。人間もまた宇宙霊魂の一部であり、不完全であっても知性をもつ存在として作られました。したがって、宇宙の秩序と調和をもたらす知性的な動きは、究極の理念である「イデア」から遠ざかった人間の思考や行動にとって規範となります。小宇宙である人間の魂が調和の取れた状態であることが善と考えられるのは、宇宙全体の調和との類推があるためです。なお、小宇宙と大宇宙の類推は、新プラトン主義やヘルメス思想に引き継がれ、万物は互いに対応しているとみなす「万物照応」という自然法則として発展しました。
イデアとは、プラトン哲学の根幹概念であり、「万物の本質」や「理想的な存在」を指します。すべての事象はイデアの不完全な模倣にすぎないとされます。宇宙霊魂は、生成変化する個々の現象と、その背後にある永遠不変のイデアを結びつけ、宇宙が秩序を保ちながら動的に変化することを可能にしています。そのため、個々の魂もまた宇宙霊魂の一部として、イデアを理解する力をもっています。具体的には、魂や精神を身体や感覚の影響からできるだけ解放し、本来の自分へと還ることで、イデアに近づくとされています。
対立する伝統科学と近代科学
伝統科学(オカルト)とは、デカルト的な二元論と機械論、還元論を礎とした近代科学とは、ある意味で正面から対立するものとなっています。伝統科学では、人間や精神を含めたすべての事象は関連しあい、一体不可分に統合されたひとつの有機的秩序をなしています。対する近代科学とは、包括する外部との関係から切り離された対象についての知識を本質としています。外界の現象は、それを認識する主体(人間)から独立し、個々の現象もまた外在的に対立しながら関係していると考えられています。そのため、主体・主観から独立した外界の現象のみを対象とし、客観的に条件づけられる一般的な概念や法則だけを真理と定めるのです。
近代科学を模範とする現代のわたしたちは、自然を無機的なものとしてとらえています。徹底して対象化することで見いだされた機械としての自然は、力学や化学の法則、統計学、確率論などの数学的アルゴリズムに基づいて定式化された物質の運動の現れであり、単純なルールを組み合わせた演繹的な記述によって、森羅万象を説明できると考えられています。生物を含めたあらゆる現象は、活力や意志をもたない受動的な物質で構成され、外部から力が働くことで法則にしたがって機械的に進行するのです。そこには、生気や霊魂などの物質に内在する動因や、神のような知性や統制力も必要ありません。完全に客体化され死した自然においては、主体性や自律性は認められないし、定式化できない動的な法則や原理を用いずとも、その説明が可能なのです。
引用、参考
2つの自然観:牧歌的自然観と帝国主義的自然観