【考察6】オカルトを現代の知識に照らし合わせて考えてみた



近代以前の人類が普遍的にもっていた有機体論的自然観を、有機体論を説明する複雑系やシステム論の観点から考察していきます。

有機体論的自然観については、以下の記事を参照してください。

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有機体論システムとはなにか

生物学的なシステムは、化合物、細胞、組織、器官、器官系、個体、個体群、生態系、自然環境といったミクロからマクロまでの階層構造をもっていますが、ミクロな下位レベルとマクロな上位レベルの関係において、上位レベルの動作は下位レベルの法則だけでは説明できません。これは、上下方向に働く相互作用が非対称であり、非線形性が働くためです。「非線形性」とは、ある量の変化が、別の量の変化に比例しない関係にあることを指します。つまり、一方の量が2倍になれば、もう一方の量がかならず2倍になるとは限らないということです。線形性は、多くの現象を簡潔に説明できる便利なモデルですが、現実世界では非線形性が支配的な場合も多く、複雑多様な現象を理解するためには、非線形性を考慮する必要があります。

このような非線形性は、創発現象においてとくに顕著に見られます。ミクロな要素同士の局所的な相互作用によってマクロな秩序が自発的に形成され、その秩序が逆にミクロな要素の動きを制約するという双方向の動的プロセスを「創発」と呼びます。この創発により、「自己組織化」が進行します。たとえば、鉄が内部構造を自発的に秩序化して磁石になるような現象が知られています。しかし、これは単純な物質の変化であり、あらかじめ定められた単一性の変化であって、多様性を備えた生物の組織化現象ほどには複雑ではありません。

生物のようなシステムでは、多様な変化や外部環境への適応が含まれ、より非線形性が強く予測困難な組織化現象が見られます。とくに生物の免疫系や人間社会のようなシステムでは、外部環境の変化に自律的に適応しながら、自己組織化が進行します。このように、自己組織化は環境との相互作用を通じて多様な形で現れることが特徴であり、自分自身を自律的に制御しながら多様に変化し組織化していきます。創発が起こる有機体論的システムは階層構造をもち、新たに創発したプロセスが既存のプロセスと入れ子状に重なり合いながら、全体として有機的に連携しています。

各階層でのふるまいは、同レベルの要素同士の局所的相互作用(線形性、単純系)と、上位レベルの大域的秩序から規定される境界条件(非線形性、複雑系)、そしてカスケード接続された下位レベルの要素からの弱いフィードバックから決定されます。下位レベルの局所的相互作用を通じて、上位レベルの大域的挙動がボトムアップ的に現れますが、このように生まれた秩序がまた個々の要素をトップダウン的に支配します。上位レベルの大域的秩序によって創発された非線形性の流れが下位の要素へと戻り、またその個々の挙動を境界条件として拘束するという双方向の動的過程、つまり、ミクロ・マクロのフィードバックを経るわけです。

有機体論システムには重層的な相互作用による非線形性があり、系全体が一体不可になるため、個々の要素を分析しただけではその全体的な機序は理解できません。たとえば、脳神経細胞は比較的単純なふるまいをもつことがわかっています。しかし、脳全体では、細胞膜に隔てられた異なるイオン組成の非線形非平衡な環境や外界からの刺激を背景として、複雑多様な脳神経活動パターンを自己組織化するため、知能の全容を理解するにはいたっていません。また、自己組織化のプロセスは、無秩序な平衡状態から離れる方向に発展するため、過去の経歴に左右される経路依存性(非可逆性)があり、特定の時点でしか生まれないような強い一回性(再現不可能性)に依存しています。このように生物のシステムは、還元論や再現性だけでは対処できないメカニズムをもち得ます。

生物の階層構造はみずからの系の動きがその系自身に働きかけ、また、その系を変化させるという自己言及性・自己改変性をもち、上下間での再帰的なフィードバックループのプロセスを通じて、みずからの存続や発展を決定する条件や規則を自分自身で生みだします。いかなる層もその層自身の境界条件を制御することはできません。局所的な範囲でのふるまいは、大域的秩序によって規定されるのです。これが、生物の形質や動態を決定づける有機体論システムの特徴です。

有機体論システムの系内部に観測者が存在した場合の考察

もし観測者が有機体論システムの内部に一要素として含まれているなら、観測系と対象系を分離・対立させることはできず、測定行為は自己言及や自己改変につながります(客観性の否定)。有機体システム内では、測定行為にともなう干渉が自分に還ってくるミクロ・マクロのフィードバックが生じ、測定結果が観測者の認識や行動に影響を与え、それがさらに新たな測定結果に反映されるという循環が生まれます。このように観測者と観測対象は相互依存しており、対象を系外から客観的に測定することはできません。その結果、観測者自身がシステムの一部として作用し、また影響を受けるようになります。

このため、客観的な測定や観察は不可能であり、観測者の主観が不可避的に含まれます。有機体論システムを理解するには、観測者自身の内的経験やその複雑な動きを考慮する必要があるのです。つまり、観測者と対象が一体不可分の状態では、対象を理解することは自分自身を理解することであり、その逆も同様です。そのため、説明には主観的な内容が含まざるを得ません。観測者と観測対象が互いに影響しあう動的な関係によって測定が行われる必要があるのです。

さらに、観測対象が潜在的な能動性(活力や生命力)をもつ活きた存在であることが前提となります。また、観測者も単なる能動主体や受動客体でもなく、観測者自身を含む系全体が非線形現象として協働的に変化し、主客未分の動的な状態であることが求められます(自我意識を超えた主客未分の境地、神秘的合一、梵我一如、無我、純粋経験の領域)。観測者が有機体論システムに関与するとは、対象との関係が流動的な連続体としてなりたち、系的に開かれたミクロ・マクロ・フィードバックによって全体が統一的に連携していることを意味します。このため、観測者は観測系と対象系の協働を通じて測定し、観察しなければなりません。

観測者と観測対象を含めた系全体が一体不可分な次元では、各要素が時間とともに重層的に影響を与え合い、因果関係も変化していきます。そのため、基本的な法則や原理、個々の事物のふるまいを理解するだけでは、全体の秩序を予測することはできません。このような理由から、測定や観察そのものが観測対象だけでなく、観測者の状態も変化させてしまうのです。

対象系の外部から測定できないことは、科学的手法の前提である客観化が成立しないという問題を含みます。普遍性や再現性を確保した観察や実験をおこなうのこが不可能であり、また、より基本的な法則で多くの現象を説明するという単純化や一般化だけでは対応できません。科学が普遍性や再現性を重視する一方、有機体論的自然観に基づくオカルト(呪術・宗教)のアプローチでは多様性や一回性、理論性ではなく多義性、客観性ではなく主客一体の相互作用を通じて世界を認識します。

再現可能で客観的な記述を行うには、測定行為や環境要因をノイズとしてあつかい、それを除外や無視、あるいは計算する必要があります。こうしてクリーンで安定した系を対象にして初めて理論を構築できるし、普遍的な法則がなりたつのです。しかし、部分のわずかな変動が系全体に影響を与える非線形的な現象、いわゆるバタフライ・エフェクトがある場合には、予測困難な影響が生じるため、理論がかならずしもなりたつとは限りません。また、生物のように自律的に平衡状態を保ちながら動的に発展する「個別性」をもった対象であれば、同じ状況下でも異なる反応を示す可能性があります。

まとめ

科学が客観的に証明できる理論や知識、言語によってなりたつのに対し、呪術や宗教といったオカルト的な知識は、観測対象である世界(有機体論システム)と一体の内部観測者の視点に立ち、主観と客観の対立を超えた直接的な経験による内外世界の変容を通じて大成されます。
オカルト的な思考形態や経験の本質とは、個人の意識下で意図的に操作や制御できるものではなく、認識する主体と認識される客体の対立を越えたシステム全体、つまり世界そのものから創発される直観や創造なのです。
世界そのものの表現や行為のなかにあって、自他の境界を取り払った状態で世界に耳を傾けようとする行為です。それは、この世界と一体となり、世界そのものに自身のことを語らせようとする行為であると同時に、自分のなかにあるより深いレベルの自己を探求する行為でもあります。古来より、人類はこのようにして得られる全体性に基づく知識を、自然、叡智、精霊、真我、神などと呼んだのです。