【考察1】幽霊や精霊、神さまがこの宇宙に実在した場合の仮定

オカルトとは、科学ではなかなか説明できない超自然的な現象や存在に関する考え方です。本稿では、物と心の実体二元論の視点から、この超自然的な世界について考えてみたいと思います。

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近代以前、人々は、世界の背後にあらゆるものを生み育むなにかが存在し、それが自然現象に秩序や意味を与えていると感じ、そのような自然観に基づいて生活や文化を営んでいました。自然界の変化は、物質が外部から力を受けて機械的に動くのではなく、心身の主従関係のように内在する要因によって自律的に動いていると考えられていたのです。この観点において、オカルトとは、万物に内在し、隠され、直接的には知覚できない超自然の世界を指します。これは古今東西さまざまな形で語られ、目に見えなくとも万物に宿る自然の本質として、利用や共存の対象、あるいは畏敬や神秘の対象としてとらえられてきました。

しかし、オカルト的な存在や論理は、見ることも触れることも再現することもできず、実証実験や理論的証明に基づく現代科学の常識からすれば、到底受け入れがたいものです。現代においても、幽霊や霊障、憑依、臨死体験(幽体離脱や他界)、超能力など、オカルト的な現象や存在がときおり話題になることがあります。現代風に定義するならば、これらは「物質と肉体を超えた実体・生命・精神の存在形式」や「意識・思念と外界との時空を超えた遠隔作用」と言い換えることができるでしょう。このような物質を介さない未知の存在や力は、客観的な物理的実在に限定された唯物論の枠組みでは説明がつかず、唯物論の範囲を超えているため、現代科学が提供する説明モデルと対立します。

オカルトを肯定する立場では、宇宙を構成する要素において、電磁気力や核力といった物質同士の局所的な相互作用だけにとどまらず、直接見たり触れたりできる物質的なものを超えて存在する対象を考える必要があります。この観点からすると、宇宙には物と心という異なる二つの実在が存在し、その両者は影とその本体のように直交する射影構造をもっているとしなければなりません。現代の生命観では、生命や精神は化学反応や細胞同士の相互作用から派生した二次的な現象と見なされています。一方、物と心の二重構造をもつ宇宙観においては、生命や精神は物質的実在よりも本質的な実在であり、肉体や脳を含むこの世のすべてを包摂し、統制しているととらえる必要があります。

この考え方にしたがうならば、宇宙は一義的な物理法則だけで動く機械的な存在ではなく、古代の自然観のように命あるものとして理解されるべきです。物心の二重構造においては、宇宙のもう一つの存在形式をつかさどる「あの世」のシステムこそが、生命や精神の本質である霊魂、高次の身体である霊体、さらには自然物を統制する精霊や神霊と見なされます。これは、わたしたちが認識するこの世の時空や物質に内在し、それを包括する、より根本的な実在と力学系が存在することを示唆します。この高次の力学系=生命系=情報系の存在を仮定することで、意識や心を含む宇宙すべての現象が媒介され、運行されていると考えられるのです。