希死念慮
「希死念慮」という言葉を最近よく目にする。耳にしたことはない。主にXなどのSNS上で使われている言葉で、文脈からなんとなく「まじつら、鬱」みたいなバッドなニュアンスを表す記号と解釈していた。調べてみたら「『消えてしまいたい』といった自ら命を立つことへの考えや反芻のこと」で、れっきとした精神疾患の症状とのことだ。
思ったより深刻だった。別に文脈から外れてはいないが、おそらくユーザーのほとんどは、こんな重い意味で使ってないと思う。検索すると一番上に「こころの健康相談ダイヤル」が出てきた。
「脳死」という言葉も最近よく聞く。「とくに思考せず、淡々と行動すること」という意味で、これは何度か耳にしたことがある。おそらく流行り始めの頃、知人が使っていた。確かお笑いの話をしていて、前後の何気ない文脈の中で「脳死で」と唐突に物騒なワードが出てきたから、ちょっとギョッとしたのを覚えている。
私はそういった物騒、不謹慎なスラングが発生、存在する事は一向に構わない。言葉ってそういうもんだし。「老害」「親ガチャ」なんかもそうだ。普段皆が感じているふわふわした抽象概念を強いニュアンスでズバッと言い当てたから、よく使われるようになったんだと思う(個人的に親ガチャという言葉は好きではない。出生が一度きりなのに対し、ガチャは何度もトライ出来るから、例えとして全然上手くないからだ)。
先日あるYouTuberが、自身の動画の中で「脳死で」と発言していた。そのYouTuberは元芸人で10年くらいのキャリアがある。ブチギレた時のリアクションやワードセンスが面白い。それが「今の若者言葉を使う」というボケでもなく、当たり前のように日常語として使っていて結構ギョッとした。
芸人ならば、カメラが回っていない場所ならまだしも、回っている場所では絶対に使わない言葉だと思う。「不謹慎」「意味が分からない人もいる」という理由もあるが、それ以前に「脳死」という言葉の持つ、生々しさ、グロさ、といったインパクトがトークのノイズになるからだ。芸人は基本的にトークの時、それが狙いでない場合を除き、特徴的な言葉遣いは極力避けるものだと思う。実際、トークの中で脳死の部分だけちょっと浮いていた。
おそらく他の視聴者はそんなの気になっておらず、そのワードを使ったからといって、動画の面白さが減ることはないと思う。しかし私はちょっと減った。動画を見ながら「あ、この人はもう完全にYouTuberなんだ」と思った。
ネットは言葉の意味を軽くする。多少の指のフリック操作だけで、世の中に言葉を発信できる。言葉を発信するための物理的なエネルギーの軽さが、その意味合いの軽さに対応しているのだ。それが日常語のバリエーションを広げる機会にもなるから否定はしないんだけど、使うべきかどうかのセンサーは敏感にしておいた方が良い。
そういや「鬱」も立派な精神疾患の症状だ。希死念慮や脳死も、こうやって一般化していくのだろうか。