29歳、ときめきメモリアルGS4でコミュニケーションを学び直す〈了〉
私事ですが、はばたき学園を卒業しました。
長いようで短かった高校生活。紆余曲折あり、めでたく柊夜ノ介くんと結ばれることができました。
最後まで彼のこと全然苗字呼びだけど
柊くんの呼び名変えイベントって、もしかして仕様として無い?
この3年間彼を下校で見かけることはついぞ無く、代わりと言ってはなんですが本田行くんとは最終的にお互い名前で呼び合う仲になりました。マブダチかい。
いっくん(行くん)、最初から割と誘いに乗ってくれるし、遊びに行くと沢山お話してくれるし、時々お姫様扱いをしてくれる。
親密さも自他境界線も特別扱いも全て兼ね備えた完璧な異性の友人でありました。卒業してもまた一緒に博物館へ行こうね。
今回も含め、これまでの記事で私は度々「下校時の喫茶店」について話題に出してきたように感じます。
友人を遊びに誘えない私にとってこのイベントは大きな試練の連続であったのですが、それ以上に「下校時の喫茶店」に拘る理由があるように思います。
恐らくそれは
パーソナルな話の際に好感度が左右されない
ことについての嬉しさに依るかもしれません。
普段のデートでは、男の子との会話中に返答の選択肢が3つ表示されます。相手やシチュエーションによって正解と不正解の選択肢があり、選択した内容によって相手に与える好感度が変動するという仕様です。
しかし、下校時喫茶店デートでは好感度の変動は(恐らく)起こりません。会話の内容もプレイヤーが選ぶことができ、この時の選択肢は「好きなテレビ番組」や「好きな食べ物」など、キャラクターの個性についての話題です。
例えば「好きなスポーツは?」という質問を見るからにスポーツをしないキャラクターにしたとき、嫌な顔や気不味い顔はするかもしれませんが、それによる数字的な好感度の低下はないのです。
これがとても嬉しいんです。
単に"好感度に関係しない気楽な会話"が嬉しいのではありません。
普段、私は他人と会話をする時に「自分がウケてるか」を気にしてしまう傾向にあります。
平たく言うと「おもしれーヤツ」と思われたいんです。関わる全ての人たちに。
その思考を如実に表すエピソードとして、コロナ禍のステイホームが推奨されていた時期に屋内で1人でできる趣味を模索していた私は、趣味は?と聞かれた時の答えとしてきっと面白いだろうと思い、タロット占いを学び始めたことがあります。(面白いか???)
ですが、きっと本来は自己開示に"ウケ"や"好感度"を気にする必要はないのでしょう。
好きなものは好きで良いし、苦手なものは苦手でいいのではないか知ら。
スポーツが苦手だからといってスポーツが好きな人に憎く思われるわけがないんです。
甘いものが苦手な人に自分が食べて美味しいと感じたスイーツの話をしたって「よかったね」で終わるんです。
そりゃあ自分のスポーツ嫌いに託けて「スポーツなんかやってる奴の気がしれない」などと誰かの好きなものを貶すようなら話は変わってくるでしょう。
甘いものの話をしたついでに「甘いの苦手でも食べれるよ、食べてみなよ」「食べれないなんて損してるよ」などと押し付けるのはもってのほかでしょう。
また、相手の話を聞いて「自分と好みが合いそうだな」と親近感を感じるのは"好感度"とはまた別の話だと思います。
単なる自分の嗜好によって誰かの好感度が変動することなんてないし、逆の立場になった時、相手に対する私の好感度が変動するなんてあってはならないんです。
これは肝に銘じないといけないなと思います。自分の「ウケ」を気にするあまり、相手の自己開示を「面白いかどうか」という視点で批評してしまいかねません。
彼らは・私はただ、偽る必要のない自分の話をしているだけにすぎませんし、私たちの個性は誰の物差しでもジャッジすることはできないのですから。
さて、ときめきメモリアルでコミュニケーションの基礎を学び直していた私ですが、
卒業に近づくにつれて学ぶことがなくなっていく
ことに気が付きました。
特定のキャラクターと仲良くなるとキャラクターの内面に触れるエピソードが多くなり、私ことマリィ(ゲーム内のプレイヤー愛称)が自我を持ち始めるからです。
誰とでも当たり障りない会話のできる私じゃいられなくなるのです。
仲良くなったその分、その相手とは単純に一緒に過ごした時間や交わした会話の積み重ねが他の人より多い状態にあるでしょう。誰かと深い仲になるということはその人の考えていることや経験したことの一部を自分の中に取り込むことなのかもしれません。
先にも述べたように、私は自己開示にウケを狙ってしまう。故に考えてることや経験したことが面白くないと記憶から追い出してしまっているだろうし(私は自分の忘れっぽさを憎んでいるのですが、おそらくこういうメカニズムなのだろうと思っている)、時には脚色してしまうことだってあります。
なので、本当に私が考えていることや経験したことが友人と共有できているのか怪しい。
加えて、私は友人の人間関係の愚痴を聞くのが少し苦手です。登場人物がやたら多く、ややこしく、興味のない題材の長編小説を読んでいる感覚に近いかもしれません。
昔、小学生の頃だったか、母親が職場での話を私によく聞かせていたことを思い出します。私は年齢が上がるにつれ苦痛を覚えるようになり、知らない人の知らない嫌な部分の話を聞いた夜、ひとりになった布団の中で悲しくなったりイライラしていた記憶があります。
肉親の話ですらこうなのですから、友人の愚痴を聞いてあげられる優しさや余裕は残念なことに私は持っていないのです。
仲良くなるということはお互いの世界を共有することなのですから、自分の生きる世界の話をするのは当然あり、個人差はあれどそれ自体が聞き手への親密さを示しているでしょう。中でも自分を取り巻く世界についての不満を話すのは相手への信頼や親愛があってこそだとも思います。
自分の話もできない・人の話も聞けない、こんな私がどうして人と深い仲になることができようか。
柊夜ノ介の立場を理解できないなりに相手の世界を受けとめ、侵害せず、知らず知らずのうちに優しく介入し、相手の世界を少しだけいい方向に変容させることのできたマリィは本当に素敵だよ。
ただその勘の悪さだけはどうにかしてくれ。
前回のデートで私(マリィ)に恋愛観を聞かれ、うまく答えられなかったために再デート時に考えをまとめてきてくれた柊くんに対してキョトンとするな!
柊夜ノ介に!!恥をかかすな!!!
学びというよりは内省によりしょんぼりしてしまったところで、本シリーズは切り上げさせていただきます。
また思い出したことや新たな学びがあれば、備忘録的に書こうと思います。