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たくさん間違い続けたから、ここにいると信じたい

2/1からのザスパの社長業がスタートし、怒涛のような1ヶ月が過ぎました。

正直、スタートとしては20点から30点ぐらいだと思っています。
そのぐらい、できていないこと、やれてないこと、間違えたことが多いなと思っています。
(しまったー)ということが、たくさんあります。

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自分の人生を振り返ると、本当に人に流されて、間違えてばかりきたような気がします。

幼稚園で目が悪くてぜんそく気味だった私を、母親は肺を鍛えようとスイミングスクールに入れました。私は友達との遊びを断って、スイミングスクールのバスに乗るのが嫌で、いつも嫌だ嫌だと泣いていました。

小学校の時は、本当は好きな女の子がいて、彼女が吹奏楽部にいたので、本当は吹奏楽部に入りたかったのです。

でも、それが言えずにいました。とても恥ずかしくて言えなかったのです。

そうしたら、たまたま水泳でバタフライで50m泳げるということで、いつも竹刀を持っていた怖いN先生が
「石井は市の水泳大会に出てもらうから、夏休みはプールで特訓だ」
私は嫌なプールでまた夏休み、水泳特訓で泳がされることになりました。

プールがまたたまたま吹奏楽部が練習をやっている音楽室の隣。
好きな女の子が吹奏楽部で練習をしている横で、N先生に怒鳴られながら、毎日泳がされていることが、嫌で嫌で。

でも、結局今思えば、水泳を断らなかった自分が悪いのだし。吹奏楽部に入りたいと音楽の先生に言わなかった自分が悪いのです。

結局、その女の子には、告白もできないまま、彼女は私立の中学校に行って、別れ別れになってしまいました。
 
中学校でも、主体性がなく、とりあえず部活に入らなければいけない、という状態で放置をしていたら、母親がちょうどテレビでテニスをみていて「テニスにしなさい」と、これも流されるまま、テニス部に入ってしまいました。

案の定、上手になるわけでもなく、当時は軟式テニスだったのですが、ボールを打つこともできず、球拾い、コートのローラーやブラシかけ、ネット片付け、ボールが全部見つかるまでボール探し、といった日々が続きました。

試合にもほとんど出られず、3年間の部活生活が終わりました。
 

高校は、ちょっと離れた隣の市の高校に入りました。
当然、知っている人はまったくいない。しかも隣の市だから、ちょっと話が合わなかったりして、内心ビクビクしていました。

だから、同じ中学にいったM君が「おれはバレーボール部に入るよ」と言ったので、弱気な私は、「じゃあ俺もお前が入るならバレーボール部に入る」と、流されて入ってしまったのです。
身長160cm無かった私が、もともと興味がないバレーボール部に入ったところで、上手になるはずがありません。
 
ちょうど顧問のA先生が、当時としては新しいスポーツ科学を大学で学んだ先生でした。
高校の柔道場、剣道場が古くなったので新設されたのをきっかけに、その先生はラグビー部の顧問の先生と一緒に、使わなくなった剣道場にウェイトトレー二ングルームを作りました。今考えると、手作り感満載の部屋でしたが。
ただ、バーベルやダンベル、ベンチが置かれたその部屋は、当時の高校生たちは「すごい部屋ができたぞ」と思えたのです。古い映画館でロッキーなどの映画に出てくるトレーニングルームが、俺たちの高校に!という興奮が、同級生には広がり、狭いトレーニングルームは、いつも同級生でごった返していました。

ちょうどラグビー部が強くて、全国大会に行った代でもあったので、トレーニングルームではいつも誰が何キロあげた、ラグビー部のキャプテンのMはbベンチプレスで85kgをあげたらしい。そんな話に花が咲いていました。
 
こうなると私も負けてられないと、当時まだ珍しかったプロテインを飲み、ウェイトトレーニングにのめり込みました。

多分私も高校生の時が成長期だったのでしょう。運良く身長も伸び、筋肉もつきました。
 
ただ、ここからがまた私の間違いの始まりです。
例えば私の友たちのKは、筋トレすると、適度に筋肉がつき、ジャンプ力が素晴らしく伸びて、レギュラーを取るまでになりました。彼は筋トレをすると、細マッチョな形でジャンプする筋肉がつく遺伝体質だったのだと思います。

ところが私は、どちらかというと重たい筋肉がつくタイプだったようで、体重もどんどん増えていってしまいました。
ある時に、顧問のA先生がトレーニングルームを訪れ、私を見て、ぼそっと言いました。
「石井は・・・ちょっとトレーニングの仕方を間違えたかな・・・」
先生に悪気は無かったのだと思います。だって高校生がウェイトトレー二ングをしたら、どんな筋肉がつくかなんて、当時はわからなかったでしょうから。

すっかり筋肉で重たくなってしまった私は、バレーボールには向いていない体型になってしまっていました。重たくなってしまって、飛べなくなってしまったのです。
そんなわけで、高校のバレーボール部も、一度ぐらいしかベンチに入れず、ほとんどはベンチ外で過ごしました。
おまけにトレーニングをやりすぎて、腰痛まで持ってしまいました。
 
大学受験も、アルバイトを入れ過ぎたり、いろいろあってどこの大学も不合格。
最後は予備校に1年通って、みなから2年遅れてようやく大学に入れました。

社会人になっても、上司に叱られたり、お客様に叱られて謝りに行ったり。
急に思いついたアイディアがあって、勝手に大阪まで行ったら、上司から電話が。
「石井、お前今どこにいるんだ?」
「大阪です!」
「ばかやろう、勝手に出張なんて行くな!帰ってこい」
みたいなことがありました。
 
成功した事業や仕事が2−3回だとしたら、10回ぐらいは同時に失敗しています。
 
転職で失敗したことも、たくさんありました。

天狗になって、調子にのって、失敗したことも、たくさんありました。

多分、こんな風に人生を振り返って、間違いを探せば、100や200じゃない量が出てくるでしょう。大なり小なり。

でも、今振り返ると、全てのことは「間違えて、失敗しておいてよかった」と思っています。(多少開き直りはありますが)

間違えると、失敗すると、その時は、
「あーっ、やっちゃったぁ」
と落ち込みます。
どうしてあんな間違いをしたんだ、と後悔します。
自分の情けなさに、がっかりきます。
(今でもそんなことが、あります)

でも、その時は、誠心誠意、謝るしかありません。
だって、間違えたのですから、失敗したのですから。
全ての間違いの原因は、自分にあります。
自分に矢印を向けなければ、なりません。

ただ、そんな経験も、5年、10年たつと、「あの間違いも、何か意味があったのかも」「あの失敗も、しておいてよかったのかも」とふと、気づくこともあります。
(振り返っても、役に立たない間違いや失敗も、もちろん、ありますが)

「間違いや、失敗は、自分の人生の先生である」

間違いや、失敗も、成功と同じぐらい、後から、いろいろ教えてくれます。
私たちは、そこから、学ぶことができます。

サッカーもそうです。
パスミスが少ないチームは、逆に言えば、そこまでの練習でたくさんミスをして、失敗をして、ミスコミュニケーションがを積み重ねてきて、そこから学んで改善してきたからこそ、試合でパスミスが出ないのだと思います。
間違いやミス、失敗を恐れていては、そのステージまでは至らないはずです。

間違いや失敗は、将来の学びの財産だと、信じたい。
僕はたくさん間違え続けたからこそ、ザスパに来れたと、信じたい。

社長としては、新米。サッカークラブの社長としても、普通の企業の社長としても、新米です。たった、まだ1ヶ月です。

だからこそ、もちろん間違えてはいけないのだけれど、間違いを恐れて縮こまることは、もっといけない、と思っています。

「調子にのるな」
「縮こまるな」
「自分はできると思うな」
「自分に矢印を向けろ」
「迷ったらやってみろ」
「間違えたら、素直に間違えて、すぐに謝れ」
「カッコつけるな」
「人のせいにするな」
「人を評価するんじゃなくて、自分を厳しく評価してもらえ」

社長になって、1ヶ月の今だからこそ、上記のようなことを、忘れないようにしたいと。
今の、この気持ちを忘れないように、今日のnoteにとどめておかないと。
忘れたらお前失敗するぞ、嫌な社長になるぞ、と言い聞かせるために、今書いておかないと、と思い、書きました。

長文、大変失礼いたしました。




 

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