共依存に幼少期が関係するのか
前記事の続きを書こうかと思います。
みーちゃんです。
そう。私は捨てられた子。
5歳の時の記憶なのに、はっきりと記憶しているんです。
狭いアパートのキッチンの前で、お父さんから
「ちょっと父さんと母さんと話をしよう。」
と。
父「父さんと母さんは一緒に暮らせなくなった。みーちゃんは父さんと母さん、どっちと一緒に住みたい?」
私は、即答で
「父さん!」
と答えました。
次の日、父は沢山の荷物を両手に持って、
「じゃあ、行ってくるわ〜」
って、家を出て行きました。
その時、私は幼かったけれど
父さんって言ったのに、一緒に父さんとって言ったのに何で?
訳がわからなくて、そこから記憶ありません。
これは大人になって、母から教えてもらったのですが、その後私は泣いて泣いて泣きすぎて、その後体が真紫になり、冷たくなり、病院に行くお金もなかった母は、どうしたら良いかもわからず、誰にも言えず、とにかく毛布で私を包んでさすって抱きしめて、ずっとずっと一晩中さすって抱きしめてくれていたそうです。
母も、この時の記憶は、とにかく私を温めなきゃ守らなきゃ、どうすれば‥不安と恐怖とで少ししかないそうです。
翌日、体温は上がり、体の色も戻ったそうです。
だから、私は今生きている。
私はここで、別人格をつくったのだと思いました。
私は解離性同一性障害で、5歳の女の子が居ます。
後日、私は
「父さんと母さん、どっちと一緒に住みたい?」
と父に聞かれた時、即答で「父さん!」と答えたけれど、父さんには捨てられた。と同時に、母さんに申し訳なくて、だけど、母は私を邪魔扱いするとか、「母さんと住みたい」と言わなかった私を責めたりする事は一度もありませんでしたが、複雑な気持ちで毎日を過ごしていた中、思い付いたのは、
「また、父さんに拾って貰えばいいんだ!」
そうしたら、母さん喜んでくれる。
不思議な発想ですが、心からそう思いました。
段ボールに
ひろってください
と書き、家の近くの道路脇
段ボールに私は入って、父が拾ってくれるのを待ちました。
当然、父は現れることは無かったし、ご近所さんに見られて、母が迎えにきました。
母は、ご近所さんに怒られていました。
母は、ご近所さんに謝っていました。
母さんごめんなさい。
母は、私を怒らなかった。
私はもうどうしたらいいのか全く分からなかった。
だけど、これをしたら母がご近所さんに怒られてしまう事だけは分かった。
したらいけない事なんだ。
それからは、きっと普通に過ごしました。
保育園に行って、帰って、遊んでって普通の日。
だけど、今の私にはその記憶無いんです。
あるのは、それから小学校五年生の時の記憶。
5歳から、小5までの記憶、私には無いんです。
不思議だけど、無いんです。
今日はここまでにしますね。
しんどくなっちゃった💦
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