intp(私)が「思想が強い」と言われる理由について
intp(という名の私)はなぜ思想が強いと言われてしまうのか?
大学生である私(intp)は、日々の友人との会話の中で「思想強いね〜」と言われがちだ。
何気ない日常の出来事の共有をメインとした雑談でも、気づいたら哲学的な話題へと転換しがちだと思う。
最近周りを観察していて気づいたことだけど、私が「思想が強い」と言われる理由は、「コミュニケーション=情報の共有」だと思っているのが原因だと思う。
そもそも一般的なコミュニケーションは、「感情の共有」だということに最近気がついた。(遅すぎ)
女性は特にコミュニケーションにおいて「感情の共有」、「メンタル面のケア」「共感」を重視していると思う。
例えば友達と「好きな人のタイプ」について話していたとする。普通なら自分の理想像や周りで気になる人について話すところだけど、私は
「そもそも恋とは?」「恋愛と執着の違いを明確に定義できない」などと話が脱線していく。
私も何気ない雑談がしたくて自分の感情を出そうと努力してみたり、自分が経験したことについて語ろうと試みたりした。
だけど、いざ語ろうとしてみるとどこか芝居がかった口調になってしまい、表現が大袈裟になり、「何か白々しいな」と友達にも言われてしまった。
自分の感情を出そうとしてみると、腹の底にぽっかりと空洞ができたような感じがするのだ。
あと、「一般的に正しいとされている感情表現」を模倣しようとするから、AIが人間を真似たようなぎこちない言動になるんだと思う。
これはfeが劣等なせいだと最近気づいたから、今は感情表現ができなくても「fe劣等だからしょうがないかー」って思うようにしたら大分楽になった。
話が大分ズレたけど、intpが「思想が強い」と言われることについて…
大抵の人は「感情」の共有を望むけど、私は「思考」の共有がしたいと思っている。
相手が何を見て何を考えたのか。そう思った背景、理由、相手が歩んできた人生について興味があるし、それを知りたいと思ってるからだ。
でも、議論や討論を望んでいない人たちからしたらたまったもんじゃないと思う。
私が雑談や世間話を苦手とするのと同じように、彼らにとっては議論や討論が苦痛なのだ。
この前友達に「あなたは思想が強い」と言われ、「思想が強いんじゃない。思考が深いと言って欲しい」と反論したが、「その発言からもう“思想の強さ”が出てるんだよ」と苦笑まじりに言われた。
こんな私を面白がって受け入れてくれる友達には本当に謝謝…
思想が強い、「人と違う私」に酔ってるだけかもしれないが、それでも私は自分の思想の強さ(思考の深さ)に自信をもっているし、それが私の魅力だと思っている。
考えることを辞めたら、その瞬間から私は私でなくなると思うからだ。
書いてるうちに、結局何を言いたいのか分からなくなってしまった…。
支離滅裂でつたない文章ですが、(非難されないために、先に自分で言っておくことで保険をかけている)
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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