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人はなぜ悪口を言うのか?


人は何故悪口を言うのか?

私は、悪口を進んで言う人の心理が理解できずに苦しんできた。

特に、悪口を嗜むことは女性のコミュニティにおいて必須条件だと思う。

口では「嫌い」と言いながらも、嬉々として対象の人間について悪口を吐く。語尾には、「まぁ興味ないんだけどね」。これが常套句。

今までは本当に理解ができなくて、なぜ人は「興味がないはずの」人間に半ば執着するのかとずっと疑問に思っていた。

だけど最近、私の友達を観察していて気づいたことがある。

私の友達は、大学で同じゼミナールを専攻している。そこで、友達はゼミナール内で目立っている、いわゆる「陽キャ」や「パリピ」といった類のグループの悪口をよく吐いていた。

そのパリピたちはInstagramで、少し背伸びした「イキった」投稿や、「匂わせ」投稿を頻繁にし、大学内では大声で話して自分の存在をアピールなどしていた。

友達は、それらの行為を馬鹿にして、よく話題に出す。彼らのインスタのストーリーを逐一チェックして取り上げ、1つのエンターテイメントとして楽しんでいるように見える。

ある日、私と友達+同じゼミの人たち、計6人で講義を受けていた。

すると、私たちが座っている近くの席に、例のパリピ達が集団で座ってきたのだ。

それを見た友達たちは、互いに目配せをし合ってキャーッとはしゃいだ。口には笑みを浮かべていた。

私は、このときにパッと閃いた。悪口は、相手との関係性を深めるために必要な行為なのか!

集団の繋がりを強固にするためには、体育祭や文化祭など、1つの感情を共有し、目標に向かって協力していくイベントが役に立つ。実際に、学生時代に行事を通して友達との仲が深まった経験がある人は多いと思う。

悪口を共有する目的もこれと同じだ。「秘密」を共有することで、相手との信頼関係を築く。

1つの感情を共有することで、相手との深いコミュニケーションが成立する。その結果、仲良くなる。

悪口は、友人になるための通過儀礼なんだなぁ。

じゃあ逆に、悪口を言えない人間はどうなるか。答えは簡単だ。信頼されず、孤立する。

「悪口」にはネガティヴな感情が凝縮されている。それを口に出さない人間は、どこか「人間味」を感じず、感情が読み取れないと判断されてしまう。

秘密を口にしない人間は、信用できない。秘密を口にしないと言うことは、自分が信用されていないという証拠だから。

仮に悪口を言わずに仲良くなったとしても、どこか距離を感じるだろう。「なんかあの子、信用できないよね…」となる。

この通過儀礼を経て仲良くなった後にも、友情を保ち続ける上で悪口は有効だ。

まだ相手に効果的な手段であるか、人間(信頼)関係の確認行為であると言っても良い。

悪口とは、相手との関係性の確認行為なのだ。

私は進んで悪口を言うことはないが、「使えるものは使っとけ」精神で、これからこの手段が有効だと感じた時には使っていこうと思った。
(社会に出てからも、何かと使えそうだし。)

私は悪口を言う人間を非難しているわけではない。むしろ、人間関係を円滑にする上で必要な行為を無意識的に行える人たちを尊敬している。

人と人はこうやって繋がっていくんだなと目の当たりにした貴重な経験でした。

上手くまとまらなかった…。

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