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適応障害になるまでの経緯(休職中ワーママ)
私は昨年11月に適応障害で休職に入りました。
休職に至るまでの状況や症状についてのお話を以下の項目でまとめます。
・家庭環境の変化
・職場環境の変化
・体調の変化
長文ですが、良かったら見て行ってください!
もともと限界を感じつつ、無理をして働いていた
3人目を出産し、2021年長男の小学校入学の年に職場復帰をしました。
しかしその直後から、今まで以上に仕事との両立が難しい事を実感していました。
人数が増えた事よりも子供たちの成長による変化に対応できなかった事が大きな要因です。
小学校に進学すると、子どもは共働き家庭だけでなく色々なおうちがあることを目の当たりにします。
その中で長男が「学童に行きたくない」と言い始め、最終的に「学校にも行きたくない」と言うようになったのが最初の大きな精神的ダメージとなりました。
子どもが辛そうにしていると、親の私も心が揺れます。
「子どもに辛い思いをさせてまで、働く意味があるのかな…」と働く事への疑問を真剣に考え始めたのはこれがきっかけだったように思います。
その後、1年ほどかけて徐々に学校への行き渋りは収まりましたが、楽しんでいるというよりは諦めたように見えました。
ホッとする気持ちと同時に、私の中での働く事への罪悪感や疑念は燻り続けていました。
その後長女も小学校に入学。
私は「長女も小学校に行きたくないと言い始めたらどうしよう」と内心ビクビクしながら日々過ごしていました。
そして長男と長女は違う学校に通っているため、日々の持ち物管理、行事日程や給食の有無などスケジュール管理などの雑務が非常に煩雑になりました。
もうこの時点でキャパオーバーで、子どもの持ち物の忘れ物も多数発生。
個人面談の日程をすっかり忘れて電話がかかってくる事もありました。
仕事環境も悪化した
仕事環境はリモートワーク化が進み、ある意味助かる部分がありました。
一方で、リモートワークが出来てしまうから無理をして家族に合わせてしまうという側面もありました。
長男や長女が学童なしで帰宅したいと言った時、もともと働く事への罪悪感を感じている私はリモートワークで要望に応えてあげようとしてしまいました。
しかし子どもが家にいると仕事に集中できず、また、子どもにもきちんと向き合えず、二重にストレスを感じてしまうのです。
また、社会環境の悪化(円安、物価高)で仕事の課題もかなり厳しいものになりました。
コストカットをしつつ売上を伸ばす事を求められ、関連部署からはこんなコストで出来るわけがないと言われたり、こんな内容じゃ売れないと言われたり…
同時並行でいくつか案件を持ち、毎日板挟みになりながら、それでも進んで行かなければならないと、ただただ悩みながら流されて漂っていました。
体調と記憶力の変化
もともと私は体が強い方で、子どもが風邪をひいても移った事はほとんどありませんでした。
咳くらいは出たとしても、寝込む事は全くありませんでした。
しかし直近1年間は、3か月に1度くらいのペースで風邪をひき、生まれて初めてインフルエンザにもかかりました。
そして記憶力がどんどん低下していきました。
仕事についてはまだ覚えている方なのですが、家に帰ると記憶力がもうひどい有様でした。
ある日、主人に「子どもを友達に家に迎えに行く際に、ついでにコンビニでたばこを買ってきて」と言われました。
何でもない頼み事ですが、当時の私にとっては物凄く難しい事を言われたような気がしました。
「なんか難しい…」というと、主人になにバカなこと言ってるの?みたいな感じで「フッ」と笑われました。
私は子どもの友達の家まで自転車で行ったのですが、「やっぱりコンビニでたばこ買ってから子どもを呼ぼう」とコンビニに歩いて行きました。
そこでお財布を自転車に忘れた事に気が付いてお財布を取りにいきました。
コンビニに戻ったところでタバコの銘柄がわからなくなって買えず、主人にバカにされるのが怖くて泣きました。
その後また私がやらかし(もう記憶がないのですが…)、主人が言った一言で私は何かが切れてしまいました。
「私だって怖いくらいなんだから!馬鹿にしないで!」と泣き叫び、一晩中部屋に引きこもって泣きました。
その後、主人と話し合いをして謝ってくれました。「きつく言った方が治るんじゃないかと思った…」と言っていました。
それを機に記憶力は回復して行きましたが、病気になりやすい状態は継続していました。
会社に辞職の意思を伝えた
本当は春の人事異動の前に辞職の意向を伝えたかったのですが、主人が辞職にあまりいい顔をしなかったため言い出せずにいました。
でも泣き叫び事件のおかげか、好きにしたらいいと言ってくれたため、4月に入ってから「できれば学校が夏休みに入るころを目途に辞職したい」と上司に相談しました。
上司は親身になって話を聞いてくれました。
そして「やめる以外の選択肢があるかもしれないから、一度人事に相談してみたらどうかな?」と提案してくれました。
私はこの会社をやめたら3時間勤務くらいのパートを探そうと思っていたので、パートや嘱託で雇ってもらえないかな?くらいの気持ちで人事に相談しました。
その結果、仕事内容は継続で5時間/日、週4日勤務の提案を受けました。
私が考えていたほど勤務時間は短くなりませんでしたが、会社が譲歩してくれた事で「ここまで言ってくれたのに辞めたら申し訳ない」という気持ちが芽生えました。
また、「次の春まで人員補充ができない」と言われた事で「私が抜けたら部署のメンバーに迷惑をかけてしまう」という気持ちが非常に大きくなりました。
結局5時間/日、5日勤務の嘱託として残る事にしました。
また体調と頭がおかしくなった
そうして仕事を継続し半年たった昨年10月、受け持っていた業務が佳境に入るころに再度異変を感じ始めました。
最初の異変は「時間をかけて作成したはずの資料がめちゃくちゃ」だった事。
会議で報告する時に内容がおかしい事に気づき、次月報告しますと流しました(結局報告せずに休職に入ってしまいましたが…)。
そして次第に仕事の効率が落ちていきました。
一生懸命パソコンに向かって何かやっているのですが、思考があっちこっちウロウロしてしまう感じで、ひとつずつバカ丁寧に確認しながら作業しないと何をしているのか分からなくなるような感じでした。
また、会社に出勤する際は最寄り駅に近づくと胸がざわざわし始め、歩いて会社に向かう頃には自然に涙が出ていました。
睡眠も浅くなり、夜明け前には目が覚めてしまい寝られなくなるような状態でした。
お昼休みに会議資料を作りながらバタバタとカップラーメンを食べている時、ふいに「もう無理だな」と思いました。
ケータイで心療内科を検索し、当日診察してもらえるところを探しましたが、当日空きがある病院はありませんでした。
3日後に受診日を迎えました。
「もう無理!」と思った瞬間に行けなかったので一旦気持ちが落ち着いてしまい、病院に行くほどではないかもしれない…と悩みました。
でも勇気を振り絞って先生の前に座った瞬間、涙があふれて止まりませんでした。
自分の状態に鈍感になっていたのだな。怖いな。と今では思います。
適応障害の診断を受けるまでをまとめてみました。
つらい状態が継続すると、良くも悪くも順応して体のサインに鈍感になるのかもしれません。
私の場合、1回目の異変が起こった時点で休むべきだったのではないかと今では思っています。
また、家族や会社のメンバーの事を気にかけすぎていたと反省しています。
でも他人を優先してしまう性格は直せそうにありません。
きっと自分を優先したら、それがストレスになってしまうから…。
少しずつ少しづつ、修正していくしかなさそうです。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
文章にすると、改めて自分自身の気持ちの整理ができるような気がします。
こうやって見つめなおす事で仕事復帰する時はどうしたらいいのかを考えて行きたいと思います。
同じように共働きで頑張るお母さん方、日々ギリギリのところで頑張っておられると思います。
子どもの成長と共に様々な変化がありますよね。特にお母さんはその影響を大きく受ける事が多いと思います。
私の失敗経験が、悪い見本として少しでも役立てば幸いです。