ちょうどいい人は存在しない。
こんばんは。cozy254です。
今日は大阪まで1年ぶりに買い物に行ってきました。
たまにあるんですが、今日はどこの店に入っても即声をかけられるDAYでした。
絶対買わないけど、つい熱心にフンフンとスタッフさんの説明に相槌を打ってしまうのでしばらく滞在することに。
まったくお声が掛からなくて自分が存在してるか不安になるDAYもあるんですけどね。
なんなんだろ?
さて、今日は「ちょうどいい人は存在しない」というタイトルにしてみました。
職場のはなしになりますが、例えば今の会社には「こいつ終わってるな」と思う人は、少なく見積もって社員60人中3人くらいです。
いい人だなあと思う方のほうが圧倒的に多いです。
ただ、私はそんないい人たちにも「惜しいなぁ」と感じてしまいます。
誰に対してもニュートラルで、仕事ができて機嫌に左右されない安心感がある。
でも雑用は絶対にしない(コピー用紙の補充、電話対応、そうじなど)同僚。
面倒見が良く、忙しい中色々教えてくれる。
でも説明が早すぎてついていけない。自分の指示内容を忘れて、こっちが間違えた感を出してしまう上司。
横柄な態度をせず、話しかけやすい。
でも放任すぎて重要なことも基本伝えてくれない管理職。
などなど。
ただ、こういう風に感じるのは、私にとっての不都合な点があるからです。
自分に不都合が少しでもあれば、ちょうど良くはない。
逆にさっきの3人にしても、私のことをちょうどいい人とは思っていないでしょう。
予想では、社歴は自分より下だけど年上で指導しにくいとか、飲み会に参加しないから普段から距離があるとか思われてそう。
家族や仲の良い友達の場合でも、こういうこと言われたのが引っかかるなあとか、遅刻グセ嫌だなあとかいろいろお互いあると思います。
ちょうど良くない部分に関しては、仕事関係で迷惑をかけたなら、仕事でお返ししたらいいと思います。
飲み会に参加して仲良くなって、なあなあにするのは違うはず。
家族や友達なら、素直にあやまったり話をして解決でしょうか。
なかなか、ちょうど(自分に合う都合の)いい人なんて存在しません。
前の職場でリーダーをしていたとき、無意識で「こういうときはこうするのが当然」とか「なんで毎回言われないと気が付かないのかな」と勝手にすべきことを決めて、それができない同僚や上司に苛立っていました。
今考えると、傲慢だったなと思います。
こうした方がよくなるよ、と教えてあげる程度の気持ちで接していたら自分も苦しまずに今でも前職を続けていたかもしれません。
ひと対ひとだから、気持ちなんて読めないし、ましてや自分の都合よく動いてくれなかったら、いい人ではないとジャッジするのは傲慢ですね。
自分が他人のちょうどいい人になれないなら、それを人に求めるのもよくないな、と自戒を込めて書いています。
誰に対しても、リスペクトと思いやりが大事。
機嫌の良し悪しのまま人に当たり散らかす人は論外ですが、みんながそういう風に少しでも意識できたら世の中もう少し平和になるのになあとしみじみ感じます。
明日から連休明けの仕事スタートなので、noteで書いた気持ちを忘れず一週間を過ごそうと思います。
ではまた。
今日も一日お疲れ様でした。