故郷の北海道を初めて好きと言えるまで
これは今だから言える話であると前置きしたうえで、私は18歳で北海道を出るまで、故郷を好きだと思ったことはありませんでした。嫌い、というのも少し違う、とにかく常に頭の片隅を少しモヤモヤさせているような複雑な思いを抱えて過ごしてきたので、文章という形に残すにはあまりに難しいテーマなのでありますが、そろそろ素直に向き合ってみようじゃないか、と少し大人になった私の心が腰を上げたので、書くことで地元に対する気持ちの変化を整理しながらしたためてみることにいたします。
そもそも育った町が、札幌でもなく、函館でもなく、旭川でもない、誰も知らない不便な田舎町であることも好きになれなかった理由の一つであれ、地元について声高らかに熱弁できる人もいる中で、私は明らかに誰よりも地元を愛する気持ちが乏しかったはずです。「愛せない」というより「窮屈」という方が合っているでしょうか。
地元にいた頃も楽しかったことや嬉しかったことはたくさんあったはずなのに、今でさえたまに思い出したり、夢にまで見てしまうのは、後悔や恥ずかしさや悲しさやイライラを伴う苦いエピソードばかりなのです。忘れたつもりでも実はそんな過ぎ去って変えることなどできない思い出にいつまでも囚われているちっぽけな自分がいて、脳内で延々と「たられば」の発想を繰り広げる執念深い己の性格に、はなはだ疲れる瞬間というのがあるのです。
案外誰にでも経験があるようなことを大げさにとらえているかもしれない私の救いようの無さには一旦目を瞑るとして、そんな苦いエピソードがわんさか地に眠っている地元は、私にとってはただただ窮屈で、未熟故に私が傷つけてしまった人や、私を傷つけてしまった人、その人たち全員の記憶から自分が消えてくれたら楽なのにと、実に身勝手に逃げたい気持ちを抱えていたのかもしれません。
ですのでいつしか私にとっての地元は、好きかどうかを考える以前に、苦い気持ちを蘇らせる地に成り下がってしまっていたのです。
それが全ての引き金になりました。
元々、新しい環境にはワクワクする性分で、新しい自分に出会えることを想像するだけで明るい気持ちになれるおめでたい一面もあったので、新しい地で新しい人生を始めたい、それには北海道そのものから旅立たなければ、本当の意味での新しい人生を始められないと、飛び出す意思は日に日に固くなっていったのです。
広い広い北海道に住みながら、気持ちはいつでも窮屈。まだ自分のことさえろくにわかっていなかった若き日の私には、育った小さな町はおろか、北海道という大きな枠でさえ、どこか自分には合っていない気がしてならなかったのです。
楽しかった高校時代を過ごした函館は大好きです。
都会なのに綺麗で、何でもある札幌も大好きです。
ですがそれ以前に、とにかく早く北海道から出たい。いつもそればかり考えていました。そして、一度思い始めると、同時に、地元のみならず北海道全体の嫌な部分ばかりが湧いて出てくるようでした。
何も、北海道が悪い訳では決してありません。
田舎が悪い訳でも、不便が悪い訳でもなく、それが誰かにとってはこの上ない魅力になり得ることもわかっていました。
ただ、若さ故に悔しかったのです。出たい気持ちは増すばかりなのに、簡単には出られない大きな籠に捕らえられているような気がして。
テレビの中の東京や大阪は、憧れても簡単には行けない異国同様の場所で、どんな特集も、望んでも叶わない、手に入らないものたちの集合体。簡単に行くことができなければ、買うこともできない。格安航空会社も日本になければ、今程ネットショッピングが普及していない時代ですから、そんな世界があるんですね、と、憧れると同時に諦め混じり。自由の女神や、エッフェル塔、ピラミッドを見ているに近しい、まるで絵を眺めるかのような時間です。
国内でさえどこへ行くにも大金をはたいて海を越えなくてはならない。憧れの東京や大阪へ行くには飛行機しか道がなく、せっかく行くのなら一泊で帰ってくる訳にもいかず、宿泊必須の大旅行。
北海道で過ごした18年の間に東京へ2回、大阪へ1回連れて行ってもらったことがありますが、海の向こうの世界で過ごすキラキラした時間は一瞬で過ぎ去り、ひとたび北海道へ帰れば、人も車も少ない雑然とした広いだけの退屈な風景が広がるだけで、それに追い打ちをかけるかのような北国ならではのひんやりした空気にとてつもなくしょんぼりした気持ちになったものです。
東西南北行けども行けども北海道、そんな特殊な大きな籠に引き戻され、本州と遮断された閉鎖的な世界で淡々と過ごす毎日に、いつも息苦しさを感じながら、ただじっと、北海道から旅立てる時を待ち望んでいたのでした。
北海道はこんなに広いのに、暮らす世界はこんなにも狭い。井の中の蛙は本当に大海を知らない。蛙だって大海に出たら案外そっちの方が肌に馴染んで伸び伸びと暮らせるかもしれないし、はたまた、やっぱり井の中が落ち着くや。と古巣を恋しく思うかもしれない。
最終的にどう思おうが、井の中にいるだけではこのどちらの思考にもたどり着くことができないままなのです。
北海道を出なければ自分がアップデートされないままつまらない人間になってしまいそうで、そう思ってしまうことは私にとって恐怖とも言えるものでした。
それならば一層、東京や大阪さえ飛び越えて外国へ行ってしまえ!北海道を出た自分は、海の向こう、そしてさらにその先から見た北海道に対して何を思うのだろう。苦い思い出など綺麗さっぱり忘れる程の強靭な器を手に入れて、全てを度外視して恋しく思うのか、それとも二度と帰るまいと、地元への後ろめたさを増す結果になるのか。
そう思って留学を決意した高校生の私には、やはり北海道、そして日本に対する未練は少しばかりも無くて、出られると決まると高鳴る胸を押さえるのに必死になるくらい、ワクワクした気持ちとキラキラした希望に飲み込まれそうになったのでした。長年の目標だった留学、そして北海道からついに出られるという二重の喜びで、渡航当日も寂しさ1割ワクワク9割。しかもそのたった1割の寂しささえ、北海道を離れることではなく、見送りに来てくれた友人や家族と離れる一瞬の寂しさです。
旅立ちというのはいつの時も忘れられない濃厚なストーリーを生み出すものですが、この時の旅立ちほど、肌から感情が沸き上がる、心震えるものはありませんでした。
そしてついに留学が叶い、その先長く暮らすことになった海外にはやはり、自分でさえ知り得なかった新しい感情や価値観が生まれていく非常に面白い日々がありました。良い意味で自分の価値観が壊される心地よい感覚の中、出会ったたくさんの日本人が思いがけず、私の北海道に対する思いに少しずつ変化をもたらしてくれることとなり、それをきっかけに、決して壊されることはないと高をくくっていた地元への偏見が、薄く脆くなっていくのを感じたのです。
高校を卒業してすぐに留学した私にとって、道外出身の日本人に会うことでさえ、ほとんど初めての経験でした。それは当時の私にとって、外国人の友人ができるのと同じくらい新鮮なこと。北は青森から南は沖縄まで、北海道にいたままではまず会うことのなかった地域の人たちの話は、私が地元にいた頃にテレビで見ていた遠い世界のような話ばかりで、北海道以外の日本を始めて身近に感じられる体験だったのでした。
現地で出会った日本人と、海外生活の情報交換のみならず、日本の地元の情報交換をする中で、やはり、世界はもちろん、この小さな島国の日本でさえ、北海道のその先は、私が思う以上に遥かに広かったのだと思い知らされました。それと同時に、どの地域も無限の魅力に満ち溢れながらも、そこに当たり前に住んできた人たちにとっては何の変哲もない場所の様に思えて、特に誇りに思うことなく他の地域に憧れを抱いている。それはまさに私の北海道に対する思いとなんら変わらず、案外自然なことなのだと軽やかに気づかされたのです。
若いなりに明確な理由を持って北海道からの旅立ちを夢見ていたつもりでしたが、留学という確固たる目標を除けば、それは単なる無いものねだりや現実逃避という子どもじみた動機だったのかもしれない。そもそも、複雑な感情を抱いているのは育った地元に対してであって、北海道そのものはただただ良い所で、地元と北海道全体を勝手に一緒にして自分で混乱していただけなのかもしれない。
それに気が付いてしまうことは何となく恥ずかしいことのような気がして目を背けているところもあったけれど、特段恥ずかしいことでもなく、幼稚で不純な動機でもなく、無責任な行動でもない。誰もが持ち得る自然な感情であると知った時、気持ちの一部がふと緩んだかのようでした。
故郷を飛び出すことと捨てることはイコールでは無くて、退屈で窮屈に感じていた故郷を出た先で、新しい何かを吸収しながら地元の良さについて再認識する。出会ったほとんどの人たちが等しく、その過程の最中だったのです。
そんな過程の中、北海道出身である私も珍しがられ、そして羨ましがられた経験は数えるときりがありませんが、何が羨ましいかもわからない、私にとっては当たり前すぎてありがたみなど微塵も感じなかったエピソードの全てを、周囲はとても興味深げに楽しそうに聞いてくれ、羨ましがってくれたり、驚いてくれたり、笑ってくれたり。
自分にとっての当たり前は人にとってもそうとは限らなくて、どこで育った人であっても、良い思い出も辛い思い出もひっくるめてこその「地元」という環境と、それをそっと見守ってきた、その地域ならではの魅力的な要素に気が付けないまま、未知の環境に憧れて人生を再スタートさせたくなるものなのか。私もまさにその典型だったのかもしれないと、シンプルでもあり、深い気付きがありました。
北海道外のことについて何も知らないのだから、北海道が素晴らしい地であると判断する為の比較材料がなかっただけなのかもしれない。道外の様々な魅力に気が付き感動したことで初めて、北海道も同様に十分魅力的な土地なのかもしれないと思い始めることができたのです。
北海道出身であることを羨ましがられ続けた私の長い海外生活。その日々の中で、ちょっとだけ鼻高々になったことは否めません。それだけ羨ましがられたら、さすがに少しは誇らしく感じるのが人間です。
周囲の人たちのおかげで少しずつ北海道を好きになれたものの、帰国を決意した時も、やはり北海道へ帰ることを選ばずに、縁もゆかりもない都会を選んで働き始めた私ですが、その職場でも相変わらず、出身地を話すだけで思いがけず話しに花が咲くのでした。そんな中で、北海道が大好きだと言ってくれる人の多さには驚いたものです。
他県の人が北海道を大好きだとまで言える魅力とはなんなのか。
なぜ何度も行きたくなるのか。
やはり私にはまだ心の底からわかることはできないままでしたが、そこまで多くの人を魅了する北海道には、きっと静かなる底力があるのだろうと、少しだけ誇らしいと言える感情の芽生え。好きだと思えなかった自分の故郷を、人に好きだと言ってもらう経験を積み重ねて初めて、その魅力を探してみたいと思えたのです。そう思えた時点で、私は自身の故郷に初めて興味を持ったということなのでしょう。
そんな中、北海道に対する価値観が大きく変わった、ささやかな出来事がありました。
会社員時代、長期休みがあっても北海道に帰りたいと思ったことはありませんでした。大切な友達には会いたいけれど、それ以外の楽しみを見いだせない。親不孝ながら年末年始でさえ、雪深い北海道へ帰るのも憂鬱で、正月は家族で過ごすものなのにと半ば寂し気な親に根負けして帰る始末。
その私が、ある年の夏休み。どこかへ無計画な一人旅をしようと意気込んだものの、行き先が決まらないまま出発の朝を迎えたことがありました。
とりあえず飛行機に乗ってどこかへ行きたい。遠くへ行きたい。自分のフィーリングに任せて漂うような旅をして疲れを癒したい。
そう思った私が咄嗟に取ったチケットが不思議なことに北海道行きのものだったのです。その時の行動について、北海道に帰りたかったからという理由ではなかったことは覚えています。せっかくの待ちに待った夏休み。どうせなら行ったことのない所へ行きたいと、直前まで思っていたはずなのです。それにも関わらず、行き先が決まらないからとりあえず、という気持ちでとったのが北海道行きのチケット。今思い返しても摩訶不思議です。
そこで気が付いたのです。それまで滅多に帰りたいと思うこともなかった北海道。しかし、行く場所がなくなった時に「とりあえず行こう」と無意識に思ってしまう、北海道という存在は紛れもなく、自分の故郷として心の片隅をいつも守ってくれていたということに。
着陸間近に上空から見えた北海道の大地は、大きくて静かで、でも力強くて、そして美しくて。森林だらけの景色の所々にしか町が存在していなくて、そんな田舎が嫌だったのに、その時はそんな光景がなんだか可愛らしくて。
いつか飛行機から見た夜の都会の摩天楼に憧れ続けていた私は、そこでの生活が日常になってから改めて眺める北海道の上空に、異世界感を覚えながらもどこか安堵していて、張りつめていた気持ちが解き放たれる感覚に少し戸惑った程です。
着陸してボーディング・ブリッジを歩いている時に香った雨上がりの湿った木々の匂いは、やはり暮らしている都会のそれとは全く違うものでした。空港でも、列車を待つ駅でも、町の中でも、どこにいても深呼吸したくなる。素朴な空気にさえ懐かしさを感じていたのです。
北海道を好きだと言ってくれた人たちに対して、有難いと思う反面、100%賛同とはいかなかった私も、北海道を離れて時を重ねながら少しずつ、故郷を俯瞰で見られるようになり、少しずつ故郷を誇らしく、好きに思えてきたのでした。
正直育った地元に対しての複雑な感情は消えないままです。好きとも嫌いとも言えない、ただなんとなく気持ちが避けていることは否めません。
でも北海道全体に目を向けると、見えていなかっただけで実は魅力に満ち溢れていて、ふわりと包み込まれるような温かい空気とおおらかさ、人々のゆっくりとした話口調が懐かしくて、胸がキュッと苦しくなるのでした。
井の中の蛙は本当に大海を知らなかった。
大海にでたら、その世界も肌には合っていて楽しかった。
大海を知ると井の中には戻りたくなくなった。
何もなくてつまらない井の中に帰る理由はないと思っていた。
でも、久しぶりに井の中に帰ると、なんだか心地よくて空気も懐かしかった。
シンプルな結論ながらも、大海に出なければ一生見えることがなかったであろう故郷の美しさが、確かにあったのです。
良い所だったんだな、北海道って。
乗り込んだ列車から何もない地平線を眺めながら、空港でふと目にしたポスターに書かれていたキャッチコピーを思い出していました。
「その先の、道へ。北海道」
雄大な。
広大な。
のどかな。
自然豊かな。
北海道を説明する際に飽きる程使われるこんな表現が、嫌にストレートに体に入ってきて、嫌に魅力的に思わされるキャッチコピー。
広い世界に憧れて北海道を離れ、海外、日本の都会、どの地にも適応して楽しく暮らしてはきたけれど、その先の道はいつでも北海道に続いている。帰らなくても良いけれど、いつ帰ってきても良いよと、力強く送り出してくれるし、両手を広げて待っていてもくれる。
これが私自身にぴたりとはまる解釈かもしれません。
北海道なんて不便な田舎に生まれなければ良かったと、反発精神で未知なる広い世界を求めて飛び出したあの頃の私の選択は、確かに間違ってはいませんでした。そして、海外生活を経て帰国してからも、故郷の北海道ではなく、全く新しい地で新しい生活を築くという選択も、間違ってはいなかった。かけがえのない経験になったことは当然としても、その全てはひとえに、故郷の魅力と暖かさを気づかせてくれるきっかけとなったのですから。
そして運命とは面白いもので、結婚した関西人の夫が大の北海道好きだったのでした。一緒に里帰りをする度に、見るもの全てに目を輝かせている夫や、澄んだ空気の中で思い切り遊んでいる娘を見ていると、北海道に対する感謝の気持ちが沸き上がってくるのです。北海道帰省は私にとってはただの里帰り、けれども昔と大きく違うのは、家族を持った今、全ての北海道帰省が家族のかけがえのない思い出として色濃く記憶に残り続けているのですから。
今では北海道から離陸した飛行機の窓から緑ばかりの大地を眺めながら、「ありがとう、北海道。」と自然に心でつぶやいている詩的な自分にむずがゆくなります。そうです。少し寂しいのです。
今の気持ちをあの時の私が知ったら、何と言うでしょうか。
北海道は窮屈すぎる、早く未来に行きたい、未来の自分の全てが羨ましい、きっとそう言うでしょう。そんな過去の自分に、北海道の良さを認識させられる程熱弁できるところまで達していない私ですので、その感情を否定する気はさらさらありませんし、むしろあの頃の自分の思い切った決断には花丸をあげて感謝します。ですが、会うことができて1つだけ何かを伝えられるとしたらこれ以外に思い浮かびません。
「人の感情も価値観もいつか変わる。それを楽しみにしていてほしい。」と。
北海道を離れて17年。少しずつ故郷を愛おしく思える今でさえ、帰省の度に少し緊張してしまう頑固で複雑な自分と向き合いながら、結婚を機に益々切っても切れない縁になりつつある北海道を素直に見つめ直して愛していきたいと思う今。
でも、今はちゃんと言えるようになりましたよ。
「北海道が好きです。」と。