
子供の頃の夢って何だった?
子どもの頃、何にでもなれるって思いましたよね?!
最初の夢は幼稚園の先生
記憶を遡ると、夢を人に聞かれるようになったのは、幼稚園のときかな?
幼稚園は、2歳下の弟がいたので、3年保育に行かせてもらいました
最初の夢は、幼稚園の先生でした
マイペースの私のことをわかってくれて、待ってくれる優しい担任の先生に出会いました
子どもの立場がわかる先生になりたいと思いました
小学校の先生になりたい
小学生の頃、3年生と4年生に担任だった女性の先生は、人間味のある方でした
人生に大切なことをいろいろ教えてもらいました
母より歳上の先生でした
母より母らしい感じがしました
中学生のとき、再会したところ、とても小柄な先生だったんだと驚きました
自分の中では偉大で大きなイメージがありました(私が成長して背が伸びたこともあるかもしれませんが)
とても大好きな先生でした
先生には、何でも話せました
母に話さないことも
将来は先生みたいになりたいと話したことがありました
すると、祭についての授業を任せてくれました
ホームルームでは、祭について、私が話をして黒板に字を書きました
思っていたより、話をまとめながら黒板に書くのは大変だなと思いました
途中で先生の方を何回か見ました
休憩している素振りをしながら見守ってくれていました
皆から宿題で原稿を書いてもらい、集めて、それを学校の印刷機(ガリバン印刷)に先生と一緒にかけました
プリントアウトした更半紙を二つに折って文集にして、クラスメイトに配りました
先生から私の夢は小学校の先生になりたいことを紹介してくれたので、皆の協力も得られて良かったです
私自身も父の田舎の祭を書きました
大晦日からお正月の1週間くらい続くんです
子ども心にすごい祭だと思ってたところ、無形文化遺産になったことを大人になって知りました


理科の先生になりたい
小学校の5年と6年は、男の先生が担任になりました
初めての男の先生で戸惑いました
でも、子ども扱いせず、大人のように話してくれる先生に好感が持てました
主に理科が得意な先生で、理科室を管理して、クラブも理科クラブを受け持っていました
6年生のとき、理科クラブに入りました
中学の理科の先生も良いなと思ったからです
小学校の先生だと苦手な体育も教えないといけないからです
当時は、走るのが遅く、泳ぐことができませんでした
夏休みは毎年水泳の補講授業を受けるほどでした
小学6年生で25メートルを全員が泳げるようになるように先生も熱心でした
理科クラブでは、実験という名で、ベッコウアメやカルメラ作りもありました
その準備や予行演習を手伝うこともありました
放課後のホームルームが終わった後、予定が空いているか確認して、手伝ってくれるかと聞いてくれました
今は、当たり前かもしれませんが、当時は先生の言うことは絶対のような時代だったので、生徒の意向を聞く先生は珍しく感じました
先生と意見交換しながら、理科室にいる時間が楽しくて、理科の先生になりたい夢がふくらみました
中学生になり、中学校の理科の先生も個性的な男の先生と優しい女の先生がいて、さらに夢がふくらみました
夢の消滅
その夢が消滅したのは、高校3年の受験前の三者面談でした
ちなみに高校3年の担任は、化学の先生でした
元々、植物や昆虫、両生類が好きだったので、生物を主に専攻したい気持ちがありました
私は家が裕福ではないことは何となくわかっていたので、国立大学へ行こうと思ってました
そのため、塾に行かず、高校で履修できる国立大学用の難しい科目、朝学習を申し込めるだけ申し込んでいました
ところが、三者面談で母が話した言葉は驚き、心に大きな傷がつきました
家にお金がないし、就職させたい
弟に大学へ行かせたい
弟は頭がそんなに良くないから私学になるのでお金がかかる
いつも弟が中心の我が家でした
母が弟を妊娠したときから、私は親戚の家を転々としていました
だから、小さい頃、私はこの家の子ではないんだと思うことがありました
そのことも思い出してしまいました
とても悲しくて悲しくて、何とも言えない気持ちでした
母が私にも話さず、いきなり三者面談で担任にいった言葉でした
高校入学の時に言ってくれたら、部活をせずアルバイトをしたのに
高校3年になる前に言ってくれたら、国立大学用の難しい科目や朝学習を申し込まなかったのに
その日は涙が枯れるまで泣きました
翌日からは時間がないと思い、就職活動に何が必要か調べたり、勉強に明け暮れました
夢が崩れるのは儚いですね
小学生の頃、先生になりたいため、書道やテクニトーンを頑張りました
苦手な鉄棒や水泳も頑張りました
その後も勉強を頑張りました
今は
今となっては思い出ですが、よく潰れず、次の目標を見つけたと思います
子どもの夢が実現して、働いている方を尊敬します
子どもに教えることは、夢が実現しているかもしれません
今は、ワークショップでグラスサンドアートを教えて楽しく過ごしています
苔テラリウムのワークショップも始めました
大好きな自然の中で、苔の観察会ができるよう苔の名前を覚えて行きたいです
かつての私のように、新しいことを自然の中で覚える環境を子どもたちに経験してもらって未来へ継いでいけたら良いな
未来のために、自然の大切さを知ってもらい、自然を守っていきたいです