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ひととふれるあたたかさ
全部ひらがなで表記すると気が狂れてアタフタに見える気がするが、人と触れる温かさと記している。
2024年12月31日は、終わりの日だ。
今年、お世話になっていたドラゴン広場のそばマルシェで年越しそばをいただく。
その後、わんパーク行きたいとの願いは虚しく到着して閉園の看板を眺める。
酒でも買いたいと酒屋によったらトイレ行きたいと言われ、酒を選んでいたらクリスマスプレゼントをもらってないと言われ、フジグランにてプレゼントを買う。
お父さんにクリスマスプレゼントするか、マフラーとかか?
と言われたので、俺誕生日だと言うと、じゃあ絵でも描いてあげるかと言うのでそら最高で、と答えておく。
まあいくら金を積まれても手に入らない価値が嬉しいのだよ。
一緒にいると、べったりしてくる息子はキスをせがむ、ブサイクな口で。
激しいキスで返す。
娘はお母さんにしないくせに、と言う。
たぶん娘もアホキス合戦に参加したいのだが、さまざまな現象で自制する。
まあ、見守っておこう。
夜も息子は触れていないと泣く。
娘は我慢する。
父ちゃん真ん中で寝ようと決める。
そうそう、息子はお父さんはお母さん嫌いなんでしょうと聞いてきた。
好きでも嫌いでもないよ、と曖昧に答えてみたらもう聞いてこなくなった。
息子も、たぶん好きでも嫌いでもないリアルがあるのだろう。
僕も素直に答えたらどっちでもいい感じがするし、親のほうがその存在に対峙して甘えて依存して言い訳にしている。
経験値的にはそうだ。
だけど身体が触れる、心が触れる感じは、小さな人たちの対峙甘え依存言い訳でもあるよね。
命を守る感覚、本能的に。
寂しさや不安に対して最もハードルの低いインスタント食品みたいなものでありたい、インスタント愛情表現であれたら、これにて水戸黄門な気がする。
一緒に寝たら、あったかいね、ってシンプルな感じ。
いっぱい薄皮重ねてるうちに鈍感になった。
餃子の美味しいちょうどいいところの皮の厚さについて話し合ってみたいよ。
誰か僕を審判してくれ、そして判決を下してくれ、そういう甘えがたくさんあるのだよ。
2024年、僕はある組織にわかれを告げた。
わかれと言っても出会ってもいなかったな。
そして高知の人々と芝居を作らせてもらった。
高知と繋がりたいと深く思った。
ステキな方との死別もあった。
とあるひとつの死別はたくさんの出会いにもつながって今にいたる。
車貸してもらえて色々可能性が増えた。
昨年は金を稼いで人を失い、今年は金を失い人と出会っていた。
来年は、
金を稼いで、人と愛し合うよ。
密かに、保育士の資格とろうかと迷っている。