マイノリティがいいじゃない
白露|草露白
令和6年9月7日
どこか海外に憧れている自分がいた。 父がアメリカに単身赴任をしていたこともあり初めて日本を出たのは9歳の頃だろうか。
気の知れた友人との登下校,遊びの約束,15時にさくら公園で。
ボクにとっての当たり前の景色。
ビビットなケーキの色,見慣れない信号とくるま,圧倒的なスケールのヨセミテ。
今でも鮮明に思い出されるくらい衝撃的な体験であった。自分とは全く顔立ちや髪の色まで違う,かろうじて人間という共通意識だけを捉えていた。
それ以来,異国の情緒というものに魅了され続けてきた気がする。いつか海外で働きたいという夢を抱き,それを叶えた。一方で言語の壁,身体に染み付いた振る舞いは,マイノリティというネガティブな自分を常に意識させた。
つい先日,私たちの住む山梨のローカルで過ごしたいという海外からの滞在者を受け入れたことがあった。イタリアから来た彼女は,すれ違っても挨拶やアイコンタクトさえない,日本の滞在に少々辟易としていた。一方で私自身も海外に行ったときに似たような疲れを感じていた。すれ違うたびにニコニコとした目線が向けられる,お店に入るたびに挨拶をする,常に緊張しつづける旅先での滞在に疲れ,ほっと一人になれるホテルの一室がなんとも居心地よく感じられるのだ。そう話すと,彼女はとても驚いた表情を見せたあと,文化の違いとして納得したようだ。そして私もそれをそれとして納得したのだった。
マイノリティでいることは,つまり「違い」に多く直面することを意味する。自分の輪郭が研ぎ澄まされる感覚だ。ときに日々の暮らしが飽和して,当たり前である文化の違いにさえ気づけないことがある。〇〇人とか,〇〇教,〇〇業界とか,そういった解像度ではなく一人ひとりのマイノリティ,その違いに敏感でいたい。
-S.F.
草露白
クサノツユシロシ
白露・初候
平野啓一郎さんの分人主義が思い出された。個人を意味する「in-dividual」は「分けることができない」一人の人間を意味する。一方で分人は「dividual」。対人関係や環境ごとに現れる複数の人格すべてを自分と捉える考え方だ。マイナーな母国語としての日本語を話すわたしが少し誇らしく思われた。
参考文献
「分人主義」公式サイト|複数の自分を生きる 閲覧2024年9月5日
カバー写真:
2023年8月13日 美しきこの国のかたち。
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マイノリティがいいじゃない
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