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【20日目】思い出す記憶は全て苦味ありゴーヤチャンプルーは甘かった

最近、我が家でも麦ご飯が導入された。

白いお米を洗って、押し麦を後から入れて水を入れて炊く。
それだけで、栄養価が上がり、便秘や体質改善にもつながるという。
前から話題になっていたけど、何となく挑戦していなかった。

テレビの情報番組で、麦ご飯特集が流れていた。

ああ、そういえば、わたしは麦ご飯が好きだった気がする。

思い出すのは小学生の時の給食だ。

わたしの地域は、比較的給食が美味しいと定評があった。
兄は、小学四年生でこちらに来たのだけど、前の地域は本当に不味かったそうだ。
ご飯と味噌汁、アスパラガスの茹でたものが一本、あと少しのメイン。
そんなものだったらしく、引っ越してからの給食には驚いていた。

主菜も副菜もしっかりあり、ABCスープはとてもおいしかった。
定期的にご当地メニューの日があって、
普通なら苦くて残されそうなゴーヤチャンプルーもとても美味しく人気だった。

そんな給食は、毎週金曜日が麦ご飯だった。

あの頃のわたしは「お金がないから」だと思っていた。
そして、地域や学校を憂いていた。お金なくて、今後どうなるんだろうって。
何故だろう?

きっと、社会科の歴史の授業の影響だろう。
戦中の映像か、もっと昔の説明か。
昔は白米がたくさんは買えないから、麦を混ぜて飢えを凌いでいた、と捉えていたのだろう。

その理解は、大事な知識が足りていなかった。
「押し麦は栄養価が高い」ということだ。

だから、その起きている出来事をうまく捉えきれていなかった。

きっと、今のわたしも同じようなことを繰り返している。
圧倒的に足りていない知識を補うために、
知識のない部分を考えて勝手に解釈をしている。
勉強をしなければならないけれど、その膨大な量に心が折れてしまい、逃げていく。

できるだけ、多面的に物事を見たいと思っていた。

小学生の時から、掲示板は読もうと思っていた。
教室の前に貼られる給食だよりは知らないことが書いてあって、面白かった。
保健室の前の掲示は、華やかだった。
「朝ごはんを食べよう」「歯磨きをしよう」
でも、あの頃のわたしの苦しみを解決してくれるような文章はなかった。

保健室といえば、「総合的な学習の時間」にみんなで並んで保健室に向かう。
他の教室では授業がされているのに、わたしたちは教室から出ているというちょっとした特別感を覚えている。各教室からぼんやりと声が聞こえてきて、うるさいクラスや静かなクラスがあることを感じる。

そして、保健室ではみんなが三角座りをして、保健室の先生の話を聞く。

「咳やくしゃみをする時、どうやって塞ぎますか〜?」

優しい先生が穏やかな声でみんなに聞く。
なんてことはなかった、うるさく騒がしい児童たちを静かにさせるために大きい声で声をかけていた。

わたしはちょうど前日にテレビで正しい塞ぎ方を見ていた。
肘の内側に顔を埋めるようなものだ。

皆が、手で塞ぐ中、わたしはその方法をとった。

「お、小柳さんだけ正解です」

わたしは嬉しかった。
とても嬉しかった。

賢くありたかった。
知識があると思っていたかった。

わたしは、クラスメイトから浮いていることを賢いからだと思いたかったのだろう。
話が合わないのも、精神年齢が高いからだと。

そうやって、浮いている自分に馴染もうとした。

実際、小学四年生の時に検査をしたら、精神年齢が多少高かった。
合わないのも仕方がない、と心理士さんにも言われた。
あの頃も生きづらかった。
でも、今も生きづらい。

うまく成長しきれていない。

給食は嫌いだった。
食べるのが遅くて、休み時間もずっと食べていただろうか。
いや、ずっと食べていたりすると全体遊びに遅れて、嫌がらせが始まってしまう。
「遅刻したから、お前が鬼な」って。

だから、わたしは必死に食べていた。
給食は苦痛なことが多かった。高学年になるまでは特に。

それでも、給食は美味しいものが多かっただろう。
わたしたちが中学生になる時に、もともとお弁当だったのが給食に変わった。
そのせいで、揚げパンがなくなってしまった。
中学校分を作るために、揚げパンの機材を無くして、生産の場所を増やしたからだという。あれだけ美味しく、人気だったものがなくなってしまった。

ちょっと前に、大阪の小学校の給食がひどすぎると話題になっていた。
今も物価高の影響で、どんどんと少なく貧しいものになっていると聞く。
それでも給食センターは努力をして、できるだけ栄養のあるものを作ってくれているらしい。

だけど、給食は苦痛なものとなっている。

だけど、夏休みがあるとご飯が食べれない子が出てくるから、夏休みがなくなってほしいと親は嘆くらしい。

何ともいえない問題の連鎖が起こっている。

わたしが不登校をしていた頃、
給食費を止めたいと学校に言った。
だけど、学校は「止めることはできない」と言う。
「もしかしたら、行きたくなるかも何だから止めないでいよう」と先生は言う。

それまでにも嫌がらせに対する対応の杜撰さによって、嫌悪感が積み重なっていたため、これもただただわたしたち親子の足を引っ張りたいだけの工作に思えた。
絶対に行かないと決めているから、と何度も何度も伝えて、
校長先生と話してやっと脅されるようなことを言われた挙句に止めることができた。

親も「お金を払っているのだから行ってほしい」と思ってしまう。
子どもも「お金を払ってもらっているのに行けないのが辛い」と思う。
そして、払っているお金でわたしに嫌がらせをした最低な奴らのお腹が満ちるのも嫌だった。

意外と子どもはそういう自分へのお金が無駄になっていることに気づいて、苦しんだりする。

不自由なく、子どもがご飯を食べれますように。

麦ご飯は普通にめっちゃ美味しいのでおすすめです。

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