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レポート『舞台における抽象と転換』
【現代の演劇という講義でのレポート】
舞台において、舞台セットは抽象的であればあるほど、観客の想像力を刺激する。
『紙屋町さくらホテル』では、ホテルのセットが完全に組んである。それはまるで一軒の建物を見ているようである。そして、話の展開もその場面で進む故に、セットの転換というものは無いに近い。しかし、プロローグなどは場所時間が違うため、舞台を暗くし、後ろのホテルのセットを隠して、手前に事務机と椅子を置くことでシーンの転換をしている。ここでは暗くすることで背景を無くし抽象的にした後具体的な要素を置くことで場所を説明している。これは具体性のある舞台であろう。
次に『朧の森に棲む鬼』は階段とも取れる程度のものが基本舞台だ。そこに追加で大きいセットが現れる。この転換はワイヤーで上から吊ってセットする、もしくは自動のようにも見える黒子による転換である。この舞台では役者は転換をすることは無い。また、この演劇では衣装が明確にある。
また、この舞台では役者は一役しかやらない。周りを固める名前のないキャストが兵士や遊女などを演じている。内容として森の「オボロ」と三人は同一人物として演じられてはいるが、メインキャストは基本一人一役である。抽象的ではなく、具体性のある進み方である。
そこで『赤鬼』は抽象的舞台だ。浮島でしかない舞台に、セットもまた四角や線、棒でしかない。黒子がいるのではなく、役者が全部をやり、衣装も役によって変化する訳でもない。観客は、今どの立場の人間なのが喋ってるのか、どこにいるのか、何をしているのか、を全て理解しなければならない。役者によって作り出される空気から要素を感じ取り、頭の中で自分なりのシーンを作り出さないといけない。その作業は漫画ではなく小説に近い。
初めふたつの舞台が具体性のある演劇、商業演劇である。そして、『赤鬼』が小劇場演劇だ。
そのふたつの要素を併せ持つのが『キネマと恋人』だろう。この演劇では、展開を端役であり、ダンサーであるキャストが行うだけでなく、主役などもその動きに合わせて演技を続ける。
演劇における転換時間というものは、観客にとっては冷める時間だ。冷静を取り戻すため、世界観とのズレが起きることがある。抽象的になればなるほど、転換時間は少なくなる。また、転換が演劇の一部になるときも時間が抽象的になると言えるのではないか。
このように演劇は観客の想像力を含めて出来上がっている。だからこそ面白いのだ。(1000文字)