続·グレーな学習障害を無いことにした【キャリコンへの道#11】
わたしが初めて学習障害の可能性があるかもと言われたのは、小学四年生の頃だった。
不登校になり、適応指導教室に通うためにスクールカウンセラーと面談をした。
そこで出会ったのが臨床心理士でもあったN先生だ。
わたしのことを深く気にかけてくれた。
10年以上前だ。
今ほど、発達障害というものは一般に浸透していなかったのでは無いだろうか?
その中でも、学習障害というのはまた珍しく、今でもあまり知られていないぐらいだから、相当早かったと思う。
わたしは検査のことをあまりよくわかってなかった。
何を聞かれたかも覚えていないけれど、「清少納言」と答えた気がする。
正式には、学習障害などの診断を下せる正しいアセスメントでは無いらしい。
その簡易版みたいなものだったんじゃ無いだろう。
それでも、N先生は
「もしかしたらこの子は、人より文字を読むのが大変なのかもしれません」
と母に伝えてくれた。
当時、わたしは授業中に騒ぐクラスメイトの存在が苦痛だった。
「静かにして」と注意することで、嫌われて嫌がらせが始まった。
でも、嫌がらせなんかよりも、
授業が聞き取れないことが本当につらくて嫌だった。
それについて、
「人より、黒板を見て写すという作業が大変なようです」
と解読してくれた。
だからこそ、先生の声も聴いて写したいし、集中力が必要だから騒がしいことに耐えられない。
わたしは教科書の文字が二重に見えた。
わたしは教科書の文字が二重に見えた。
全ての文章が2回書かれてあり、どこを読んでるのかわからなくなる。
全ての文章が2回書かれてあり、どこを読んでるのかわからなくなる。
そして、それは少し重なっていて読みづらい。
そして、それは少し重なっていて読みづらい。
こんな感じだ。どこまで読んだのかわからない、同じ文を何度も読んでしまう。今もよくあって、あれあれ、あれあれ、ってなってしまう。
本を読む時は定規をつかって、読んでいるところにあてて読むことにしていた。誰にも教えられずにそうやって乗り越えられるようにしてきた。
小学四年生のころ、アニメ『氷菓』にハマり原作の古典部シリーズを読むようになった。
そこで気づいた。
行間が狭ければ、読みやすい。被ることなく、二重に見えることなく、読める。
児童書はだいたい広く行間がとってあり、文字も大きくてそれが被ってしまい苦労があった。だからわたしはほとんどの児童文学を読んでこなかった。
でも、ヤングアダルトジャンルの本だと読める。
喜びがあった。
世界は広いと感じられた。
高学年になるにつれて、教科書の文字が小さくなり、行間が詰まることで多少読みやすくなった。
そうすることで、世界は広がった。
物語が好きってことにした。ひ
そう思うことで、言葉の海を泳ぐことが出来ると思ったから。
自分は物語に救われた。
だから、読むのが好きだし、書く人になりたい。
国語が好きだから、数学が出来なくていい。
ただただ、わたしは国語が好きなんだ。
そう思うことで、読めないことも克服したつもりでいるし、数学からも逃避した。
その結果、わたしはここにいる。
でも、本当は苦手なんだ。
読むのは、本当に苦手だ。
だから、全然読めない。
キャリコンの勉強をしているのも本当に大変で、疲れてしまう。だけど、好きなんだ。勉強をするのは。
勉強をするのが好きだと思っていたい、だけなのかもしれない。わたしは。
キャリコンの教科書には、
「自己肯定感が低くなり、就職または社会適応に明らかな困難を示したりする場合もある」と書かれていた。
ああ、ああ、と思う。
やはりわたしには困難なのか。
自分で印刷所に依頼を出す、部数と合わせて原価の計算をする。
そういうことはできる。
だけど、会社に勤めるとなると大きな障害になっていく気がして、経理はおろか、営業なども不向きなのではないかと就活中も思っていた。
本当にやっぱり社会に馴染むことはできないのかもしれない。
テレアポのマニュアルをうまく読めないのも、確実にこの影響だ。
頭の中で文字にして、ふりがなをつけて、入れ替えて、
いうべきことを言葉にして、口にだす。
怖いと思っているから、緊張して、より話せなくなる。
うまく話せないと思うから、いろんな情報が頭に入りすぎて、早口になる。
そんな毎日だった。
そして、これからもずっとそうなるのだろう。
怖いな。
そんなことを上司に伝えたことがあった。先輩Aに。
「音読ずっっと苦手で、言葉に出すのが苦手なんです」と。
そしたら、
「じゃあ、営業向いてないかもね」
とだけ吐かれた。
わたしは呪いをかけられたまま、漂い続ける。