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グレーな学習障害を無いことにした【キャリコンへの道#10】

わたしは自分が思っているより、苦しんでたし乗り越えてきたんだ。

キャリアコンサルタントの勉強では、メンタルヘルスについても取り扱う。
もちろん診断をするような立場ではないけれど、
それでも相談者の精神状態や特性を察知し、
まだ気づいていないようなら専門医へのリファー、紹介をする。

キャリコンでは抱えられない問題もある。
しかし、病気のことを知っていればできる対応は増えていくし、
その人のことを理解することができるだろう。

パニック障害や広場恐怖症、双極性障害、PTSD、統合失調症。
その流れで、発達障害の説明もあった。

知的能力障害やADHD、自閉症など色々な困難があり社会的補助の必要性を少しずつ勉強をしてきた。

その中に、限局性学習障害というものもあった。

LD。
わたしも小学四年生の頃にグレーであるという診断が出ていた。
でも、ずっと「わたしは全然軽度だし、大したことなかったし」そんなふうに思っていた。

だって、テレビで見た識字障害の子は文字が書けなかったし、本は読めないと聞くから。それに比べてわたしは、小説を読めるようになったし、余裕で生きてきた。

だけど、キャリコンの教科書の項目を読んで、声が漏れて、震えた。

【限局性学習障害の症状】
①字を読む時、不的確だったり速度が遅かったりするため、かなり努力をしなければならない。
②読んでいるものの意味を理解することが難しい
③綴り字の困難さがある。
④文章を個性することが難しい。
⑤数字の概念や、数値、または計算を取得するのが難しい
⑥数学的な推論が難しい

ああ、わたしは思っていたよりもちゃんと学習障害だったんじゃないかな。
言葉を話し出すのは遅かった。「そうね」しか言わない子だったという。
小学生になって音読が本当に嫌いだった。間違って読んでしまいそうで怖かった。
算数は九九で躓いている。

九九の暗唱テストの時のことをすごく覚えてる。
みんな自分の席に座って、教卓のところに先生が座ってる。
そして、1人ずつ「4の段」「9の段」と当てられていく。

ああ、もうすぐ当てられる、どうしよう。
これは最後の試験だった。
1の段から1段ずつ暗唱テストがあって、全員が9段全て合格したのちの最後のランダムでも言えるのかの試験だ。
だから、わたしだって一度は合格していた。
だから、いけるはずなんだ。

でも、言えない。
なんの段が当たったのか、確か7の段だったはずだ。

わたしは悪いことをした。
小さな九九の表を机の上に置いて、読み上げた。

「なないちがなな、ななにじゅうよ、ん、ななさんにじゅうい、ち・・・・・・」

「合格」

バレなかった、よかった。そう思った時、どこかからこんな声が上がった。
「小柳さん、カンニングしてる!」

心臓が氷河期を迎えたように一瞬で固まった。
大きく手は震え始める。

「何言ってんの、カンニングしてたらこんなに遅いわけないじゃない」

読み上げるのが遅すぎて、わたしはカンニングに気づかれなかった。
そんな笑える話。

数学は苦手なだけなんだと思っていた。
だけど、これも学習障害の一つだったんじゃないかと思う。
それぐらい「7」を「なな」と認識するのに時間がかかる。
「3900円」という表記があったとしたら、「さんびゃくきゅうじゅう」と言葉にしてしまう。頭ではわかっているのに、口が勝手にずれてしまう。
なんなら、「きゅうせんさん」なんて言ってしまう。

算数の公式を覚えるのも本当に苦手で、何がなんでその公式になるのかもわからない。暗記をして、何十回も同じ問題を解いて、解いて、問題を覚えてテストに向かっていた。
兄は頭が良かった。
塾にも行かずに京都大学にストレートで入った。
それぐらい賢い人だった。

一方わたしは不登校で、全部自学自習で勉強をしてきた。
高校になっても簡単な数学がわからなくて、教えてもらった。
するととても怒られる。「なんでこんなのも・・・」と。
「公式覚えていれたらいいだけやん」

わかる、ごめん、そうだよね。
そうなんだよ、なのにわからないんだよ。

彼も悪くない、その後「俺が悪かった」と詫びてくれたし、
兄妹だからこそイライラするのもわかる。
頭がいい人には理解されないほどの脳であることも自覚してた。

思えば、一番泣き叫んだ日も数学に関係があった。

兄が小学生の時に通っていた塾の夏期講習に入ることになった。
とても賢い街の小さい塾で、成績上位者のための場所だった。
そこで算数の授業だけ受ける。
わたしの他にいたのは、同じ学年の私立に行く予定の男子4人だった。

1日目、2日目は参加した。
だけど、次の日わたしは拒絶した。
無理、いや、やだ、行かない。

家族は無理やり連れて行こうとしたけれど、それでも拒絶して、わたしは泣いた。
なぜ泣いたのかも、なぜ行きたくなかったのかも、
わかっていなかった。

だけど、きっと過度な負荷に耐えかねたのだ。

そして、わたしは自分で一線を引いた。
「わたしは女だから、算数数学ができないんだ。兄とは違って女だから勉強ができないんだ。それでいい」
そうすることで自分を守った。

国語は得意だった。社会も得意だった。
中学生の時は、先生たちから「こんないい点数取られたら、敵わないよ」と言ってもらえるほどの点数を自学自習でとった。

1人で必死に勉強したけれど、高校の志望校は落ちて、
入った高校はとてもおバカな学校だった。
そのおかげで、幸か不幸か、
数学を中学の内容から教えてくれた。
その結果、わたしはずっと一位を取り続けることができた。

努力で、勉強し続けて、
赤点を取るのが怖いから、勉強をし続けて、
ビビリだから、勉強をして、
勉強は好きだった。

だけど、いまだに文章を読むのは時間がかかる。
普通の人より圧倒的に時間がかかる。
ものすごく集中しなければ、目が文章をなぞっているだけになってしまう。

そして、
「連想」という言葉があったとしたら、
一度、「れん」「そう」が脳に入って、その二つが同時に頭に入って、
入れ替えなければ口に出せない脳を持っているようだ。
だから、「そうれん」と言ってしまう。

「協調性」という言葉があったら、「ちょうきょうせい(調教性)」なんて言ってしまう。

これが、先ほど挙げた症状の中でいう①だろう。
九九ができないのが⑤で、公式ができないのが⑥。
③の文字を書くのが苦手であるというのも小学生の時は露骨にあった。
中学に入った時に先生に「男の子の字みたいだね」と言われたことがある。
バランスを取るのが苦手というか、
「ノ」と「木」と「女」という認識になってしまうのだ。そう、「委」である。
だけど、わたしにはうまく読めないし、書けない。

全ての文章を頭の中で、言葉にして当てはめなければ言葉にならない。
きっと、人がやる作業の倍以上を同時に頭で処理して生きている。

なのに、なぜ、わたしはこんなにも文章を書くのだろう。
②と④、構成理解や内容を理解する能力だけはちゃんとあって、なんなら人一倍あるのだろう。だから、わたしは苦手なのにずっと続けている。

自分の書いた文章ならすぐ読める。
癖に合わせているから、一文が短くて難しい言葉は基本的に使わないし、読みやすい。

続く。


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